<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> 
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="ja">
<title>天地人 歴史案内所</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/" />
<link rel="service.post" type="application/x.atom+xml" href="http://cms.blog.livedoor.com/atom/blog_id=3070172" title="天地人 歴史案内所" />
<link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<link rel="self" href="http://tentijin.net/atom.xml" />
<modified>2010-09-09T14:52:56Z</modified> 
<tagline><![CDATA[NHKの大河ドラマ「天地人」の各回の歴史や時代背景を、歴史に詳しくない方にも解りやすく解説してます。]]></tagline> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao</id> 
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
<generator url="http://blog.livedoor.com/" version="1.0">livedoor Blog</generator> 
<copyright>Copyright (c) 2010, kamuraitao </copyright>
<entry>
<title>天地人 最終回 「愛を掲げよ」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1084905.html" />
<modified>2009-12-08T13:34:03Z</modified> 
<issued>2009-11-23T15:59:09+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1084905</id> 
<summary type="text/plain">いよいよ最終回となった NHK&amp;nbsp;大河ドラマ 「天地人」。歴史的な動きは前回の「大坂の陣」による豊臣家滅亡で終わり、今回は直江家のその後と徳川家康の死が描かれます。そして直江兼続も、その生涯を終えます。ドラマの「エピローグ」と言える内容ですね。○ 直江景明が...</summary> 
<dc:subject>第46回～最終回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1084905.html">
<![CDATA[<p><span style="color: #ff0000;">いよいよ最終回となった NHK&nbsp;大河ドラマ 「天地人」。<br /></span>歴史的な動きは前回の「大坂の陣」による豊臣家滅亡で終わり、今回は直江家のその後と徳川家康の死が描かれます。<br />そして直江兼続も、その生涯を終えます。<br />ドラマの「<span style="color: #0000ff;">エピローグ</span>」と言える内容ですね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江景明があっさり死んでたけど、なんで？</span></strong><br /><br />これはもう「<span style="color: #800000;">元々病弱だったから</span>」としか言いようがありません。<br />ただ、直江景明は「大坂の陣」にも参陣し、その戦いぶりを称えられて二代将軍・徳川秀忠から感状（感謝状）も与えられています。<br />感状の授与については「直江家の手前」というのもあったかもしれませんが、少なくともこの時点では直江景明は元気だったと思われます。<br /><br />しかし、<span style="color: #800000;">その約半年後にあっさり病死</span>してしまいます･･･<br />まだ医術も進歩していない時代ですから、流行り病であっさり死ぬこともありますが、やはり体が弱かったのでしょうね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 泉沢久秀も息子を大坂の陣で亡くしたって言ってたけど？</span></strong><br /><br />天地人のドラマの中で、直江兼続が泉沢久秀にそう言っていましたが･･･<br /><span style="color: #800000;">泉沢久秀については米沢移転後の記録が少なく、詳細が解っていません。</span><br />移転前までは上杉家の重臣として高い地位にあったようですが、移転後は兼続の配下となっており、急に記録にも出てこなくなるようです。<br />天地人のドラマを作成するにあたり、過去の記録が再調査されていると思いますので、泉沢久秀の息子に関する情報が出てきたのかもしれませんが･･･　実際のところは不明です。<br /><br />ドラマでは過去に泉沢久秀の子が登場していますが、「泉沢家」は<span style="color: #800000;">泉沢久秀の死後に跡継ぎがいないことで断絶</span>となっていますから、その事と辻褄を合わせたのではないかなと思います。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川家康も死んでたけど、老衰？</span></strong><br /><br /><a href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawa.htm" target="_blank">徳川家康</a>は<span style="color: #ff0000;">「大坂・夏の陣」の約１年後に病死</span>しています。<br /><br />徳川家康はよく「<span style="color: #800080;">テンプラにあたって死んだ</span>」と言われています。<br />ただ、鯛のテンプラを食べ過ぎて食中毒を起こしてから、実際に死ぬまで約３ヶ月あるため、テンプラが直接の死因ではなかったようです。<br />しかしテンプラにあたってから体調が悪くなる事が増えているため、やはりテンプラが体調悪化の最初の原因だった可能性も高いです。<br /><br />徳川家康が死んだのは 1616 年の４月。<br /><span style="color: #800080;">ちょうどその前の月に直江兼続が見舞いに行っています。<br /></span>ドラマのような対面シーンも、おそらくあったでしょうね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江兼続が作った「禅林文庫」って？</span></strong><br /><br /><a href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>が徳川家康の死の２年後、1618 年に<span style="color: #800080;">私財を投じて作った学問所</span>です。<br />「<span style="color: #800080;">禅林寺</span>」というお寺に書物を集め、当時の最高教育施設だった「足利学校」で学んだ和尚を先生として招いて創設した、米沢最初の本格的な学問所だったようですね。<br /><br />後にそれは上杉家の名君として知られる「上杉鷹山」という人により作られた「<span style="color: #800080;">興譲館</span>」という学校に受け継がれ、「禅林寺」はその後「<span style="color: #800080;">法泉寺</span>」というお寺に変わっています。<br /><br />ドラマの直江兼続はこれを最後に隠居していましたが、実際にはその後も上杉家で政務を続けていたようです。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ もみじを手にして死んだ直江兼続･･･　史実での最後は？</span></strong><br /><br />ドラマではお船と旅に出た後、屋敷で死んだ<a href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>。<br />史実ではどうだったかと言うと･･･<br /><br />史実の直江兼続は隠居していませんでしたが、「禅林文庫」を作った翌年の春から体調が悪くなり、その年の秋になって寝込むようになったようです。<br />そして<span style="color: #ff0000;">翌年の１月、江戸の屋敷で息を引き取った</span>との事です。<br />その死に際し、将軍・徳川秀忠からも多くの香典が送られ、上杉家で大きな葬儀が行われました。<br />その後、どの寺が兼続を弔うかでお寺の抗争が起こったようで、それだけ大きな影響力を持っていた事が伺えます。<br /><br />ドラマでも話されていたように、直江兼続とお船は上杉景勝に対し、<span style="color: #ff0000;">兼続の死後に「直江家」は断絶し、もっていた領地は全て上杉家に返上する</span>と伝えていたようです。<br />これは<span style="color: #800000;">上杉家の財政が苦しかったことに加え、「関ヶ原の戦い」での敗戦と、上杉家の縮小を招いてしまった事に責任を感じていたから</span>だと言われています。<br />もちろん跡継ぎの予定だった「直江景明」が死んでしまったこともその理由です。<br /><br />直江兼続の死後、お船は出家して「貞心尼」という尼になりましたが、その後も江戸の直江家の屋敷で暮らしています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ その後の上杉家･･･</span></strong><br /><br />直江兼続の死後、上杉家がどうなったのかというと･･･<br /><span style="color: #ff0000;">兼続の死から約３年後の 1623 年、上杉景勝もこの世を去ります。<br /></span><br />ちょうどこの 1623 年の２月、景勝の息子「<span style="color: #800080;">玉丸</span>」は「<span style="color: #800080;">上杉定勝</span>」となり江戸城で将軍・徳川秀忠と会見。<br />この時に官位と官職（正式な役職）などを貰い、<span style="color: #800080;">名実共に上杉家の跡継ぎとして認められています。<br /></span>そしてその約３ヶ月後に、上杉景勝は病死･･･<br />ギリギリのタイミングですが、逆に上杉家の継承を終えてホッとしたのでしょうか？<br /><br />お船（貞心尼）はその後も江戸の直江邸にいて、護衛や領地（化粧料）も与えられており、上杉定勝が会いに来ることも多かったようです。<br />上杉家の記録には「<span style="color: #800080;">兼続の死後も、大小さまざまな事をお船に相談すると良い。源頼朝（鎌倉幕府の創始者）の妻「北条政子」も出家した後に天下の政務を行った。兼続の妻も、これに似たり</span>」と書かれています。<br /><br />その後、二代将軍・徳川秀忠も死去し、三代将軍・徳川家光の時代となった 1637 年、<span style="color: #800000;">お船は 81 歳という当時としてはかなりの高齢まで長生きし、この世を去りました</span>。<br />葬儀は「家臣の妻」という身分としては異例の藩をあげての葬儀で行われ、直江兼続の墓の隣に埋葬されています。<br /><br />なお、1637 年に戦国期最後の乱となった「島原の乱」が起こっています。<br />これで戦乱の世も、完全に終わりと言えます。<br /><br /><br /><span style="color: #ff00ff;"><strong>○ 各武将のその後（天地人終了時は 1620 年1月）<br /><br /></strong></span>　●上杉家<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">1623年に死去。上杉家は息子が相続する</span>）<br />　　　・玉丸（<span style="color: #000080;">成長して「上杉定勝」となり1623年に上杉家を継ぐ</span>）<br />　　&times;<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">直江兼続</span></a>（<span style="color: #ff0000;">1620年1月（旧暦1619年末）に死去</span>）<br />　　　・志駄義秀（上杉家の家老に昇進。1632年に死去）<br />　　　・色部与三郎（上杉家の重臣になる。1640年に死去）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">直江景明</span>（<span style="color: #ff0000;">1615年、病死。直江家断絶</span>）<br />　　　・大国実頼（密かに米沢に戻り1622年に死去という説が有力）<br />　　<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #800000;">史実では1615年、大坂・夏の陣の頃に病死した</span>）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（<span style="color: #800000;">史実では 1605 年に病死と思われる</span></span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（<span style="color: #800000;">上杉家の重臣、1624年に改易された模様</span>）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #800000;">史実では1611年に病死している</span>）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">兼続・景勝の死後も上杉家のため尽力した。1637年に死去</span>）<br /><br />　　　・お貞（兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名や詳細は不明）<br /><br />　●元・西軍<br />　　・毛利輝元（1625年に病没）<br />　　・毛利秀元（毛利本家とは関係が悪化。1650年に病没）<br /><br />　○徳川家<br />　　&times;<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">徳川家康</span></a>（<span style="color: #ff0000;">1616年、病没</span>）<br />　　・徳川秀忠（<span style="color: #000080;">二代目の将軍。1623年に息子・家光に将軍を譲り大御所に。1632年没</span>）<br />　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #800000;">家康の死後、後を追うように2ヶ月後に死去</span>）<br />　　・<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>（1622年、幕府内の政争に敗れ失脚する。1637年に没）<br />　　・遠山康光（史実ではずっと前に死亡している。<span style="color: #800000;"> ドラマでは最期はなかった</span>）<br /><br />　　・千姫（<span style="color: #800000;">大坂の陣の翌年に再婚。1626年に出家、大奥で大きな力を持ったという</span>）<br /><br />　○元・武断派<br />　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #800000;">1619年に小大名に格下げされてしまう。1624年に病没</span>）<br />　　・黒田長政（1623年に病死）<br />　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（徳川秀忠の参謀として幕府の運営に尽力。1630年に病死）<br /><br />　○その他の大名/人物<br />　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">領地経営に専念し1636年に没。結局その野心は爆発しなかった</span>）<br />　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a>（大坂の陣の後に病死）<br />　　・本多政重（<span style="color: #800000;">前田家の家老となり、1647年に死去</span>）<br /><br />　　・北政所（<span style="color: #800000;">大坂の陣の後は幕府の保護を受けた。1624年に死去</span>）<br /><br />今回で NHK 大河ドラマ「天地人」も終了です。<br />当ブログの更新もこれが最後でしょうか。<br /><br />この１年間、長い間ご覧頂き本当にありがとうございました。<br />ある意味、大河ドラマに便乗して始めたこのブログですが、記事の作成にあたって私自身も多くの知識を得て、とても勉強になりました。<br />ドラマの「天地人」にはかなりフィクションが多く見られましたが、おかげで史実を解説したこのブログも存在価値が出来たのではないかと思います。<br /><br />出るべき武将、出て欲しい人が出ないなど、ちょっと残念な点もありましたが、出来るだけ批判は抑え、逆にドラマが再現している史実の部分を紹介しつつ、史実とは異なる点を指摘する形で記事を書こうと心がけていました。<br />歴史ドラマは細かい考証や再現を含めても、歴史に詳しい人でないとそこに気付いてくれないので、その点で「損だよなぁ」というのも感じました。<br />まあ楽しみ方は人それぞれで良いと思うのですが、少しでも歴史ドラマを、より楽しむための助けになったらと思います。<br /><br /><span style="color: #0000ff;">と言う訳でこの１年、どうもありがとうございました！</span><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 最終回</span></strong><br /><br />山形県 米沢市<br />上杉家御廟所<br />林泉寺（上杉家の菩提寺、直江夫妻墓所もある）<br />直江兼続詩碑（法泉寺）<br /><br />・<a title="天地人紀行 第四十八回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map48.html" target="_blank">天地人紀行 第四十八回</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br />※なお、「天地人」の総集編 第一回は12月21日、夜10時からです。<br /><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script></p>]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十六回 「大坂城炎上」 その２</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1076824.html" />
<modified>2009-11-20T15:23:26Z</modified> 
<issued>2009-11-17T21:14:42+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1076824</id> 
<summary type="text/plain">※今回の記事は、前回の記事 「天地人 第四十六回 「大坂城炎上」 その１」 の続きです。--------------------○ 「大坂・冬の陣」が終わって、すぐ「夏の陣」が起こったのはなぜ？ドラマでは曖昧にしか描かれていなかった、冬の陣の後の「大坂・夏の陣」の起こった経緯。ま...</summary> 
<dc:subject>第46回～最終回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1076824.html">
<![CDATA[<p><span style="color: #800000;">※今回の記事は、前回の記事 「天地人 第四十六回 「大坂城炎上」 その１」 の続きです。</span><br /><br />--------------------<br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「大坂・冬の陣」が終わって、すぐ「夏の陣」が起こったのはなぜ？</span></strong><br /><br />ドラマでは曖昧にしか描かれていなかった、冬の陣の後の「<span style="color: #ff0000;">大坂・夏の陣</span>」の起こった経緯。<br />まあぶっちゃけ、<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>が本気で「豊臣家を潰す」と考えた時点で、<span style="color: #ff0000;">理由なんてすべて後付け</span>だったと言えますが、一応ここではもう少し詳しく経緯を説明しておきましょう。<br /><br />「大坂・夏の陣」が終わった後、双方の間で以下のような取り決めが行われました。<br /><br /><span style="color: #000080;">・大阪城の外堀を埋める<br />・大坂城の「二の丸」「三の丸」の撤去<br />・豊臣側の領地の補償<br />・豊臣秀頼と淀の身の安全の保証<br />・豊臣家が雇った浪人たちの罪は問わない</span><br /><br />ところがここで、徳川側は「<span style="color: #800080;">外堀</span>」を埋めた後、<span style="color: #ff0000;">「内堀」まで埋めてしまいます！</span><br />防衛拠点となる「二の丸」や「三の丸」、さらにその周囲の砦まで徹底的に壊され、これで大坂城は掘や砦のない<span style="color: #800080;">「丸裸」の城</span>になってしまいました。<br />この「内堀」まで埋めた一件は（定説として）徳川側が<span style="color: #800000;">取り決めを無視して勝手に行った事</span>だと言われており、豊臣家に大きな反発や不信感を与えることになります。<br /><br />一方、豊臣家は「大坂・冬の陣」が終わった後も、<span style="color: #800000;">浪人たち（つまり兵士）をそのまま城内に留め置いていました</span>。<br />これは「浪人たちの罪は問わない」というのを豊臣側が都合のいいように解釈していたためだと言われていますが、徳川側は武装解除を要求していたため、それが受け入れられていないことに不信感を感じてしまいます。<br /><br />そして翌年の３月･･･　ついに徳川家康は、浪人たちが乱暴を働いている事を理由に、豊臣家に「<span style="color: #800080;">浪人を解雇する</span>」か「<span style="color: #800080;">別の土地に移る</span>」かのどちらかを選ぶよう通達します。 事実上の<span style="color: #ff0000;">最後通告</span>ですね。<br />しかし翌月、豊臣家はこれを<span style="color: #ff0000;">拒否</span>。 同時に合戦の準備を開始。<br />すかさず家康は、再び各地の大名家に京都に集結するよう呼びかけます。<br /><br />大坂城はすでに防御力を失っており、「冬の陣」の後に退去する浪人も多くいたため、もはや豊臣側に勝ち目があるとは思えない状況でした。<br />そのためか家康は、「兵糧は３日分でいい」とか言っています。<br />一方の豊臣側は積極的に打って出る作戦で、この状況を打開しようとしていまいた。<br />こうして 1615 年の４月末、<span style="color: #800080;">戦国最後の合戦となる「大坂・夏の陣」が始まります。<br /></span><br />ドラマでは、「夏の陣」が起こる経緯については「外堀を埋めることを条件に和議を結んだのでございます」というナレーションと、<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>の「残るは内堀のみじゃ」というセリフぐらいしかありませんでした。<br />後は最後通告を受けて秀頼と淀が怒っているシーンぐらいですね。<br />最近は、「大坂城の内堀を埋める事は、豊臣家との取り決めですでに決まっていた」という「新説」が出ているようなので、ドラマは直江兼続のセリフから察するに、その新説を採用しているか、もしくはその説に配慮した可能性があります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 石原良純が家康にキックされてたけど、ケンカしたの？</span></strong><br /><br /><span style="color: #ff0000;">あのシーンはフィクションです。</span><br />しかし後の「<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>」の境遇を含めて作ったものだと思われます。<br /><br />福島正則は豊臣家への忠誠を持ち続けていましたが、徳川家康にも忠誠を誓っていました。<br />そのためか<span style="color: #000080;">、「大坂の陣」で豊臣秀頼から味方になるよう要請されますが、これを拒否</span>。<br />しかし一方で、<span style="color: #800080;">大坂の屋敷にあった大量の兵糧が豊臣側に取られるのを黙認</span>しています。<br />さらに福島正則の子や親族には、大坂城に入った者も多くいます。<br /><br />そのため大坂の陣が始まると徳川幕府は福島正則に「江戸の留守役」を命じて、そのまま<span style="color: #800080;">事実上の監視下</span>に置いてしまいました。<br /><br />そしてそれから４年後、徳川家康も死んだ後の時代に･･･<br />雨漏りをちょこっと直しただけで「城の無断改修をした」と難癖付けられ、広島５０万石の大名から、４万５千石の大名にまで<span style="color: #800000;">大幅格下げ</span>されてしまいます。<br /><br />徳川家康の存命中は、福島正則は家康に忠実に従っています。<br />なのでドラマみたいに廊下で大御所キックを食らうような事は考えられませんが、福島正則には常に「<span style="color: #800080;">豊臣家の忠臣</span>」「<span style="color: #800080;">いつ敵に回るか解らない</span>」という警戒感があったことも確かなようです。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「大坂・夏の陣」。上杉家は京都で空を眺めてるだけで終わってたけど？</span></strong><br /><br /><span style="color: #ff0000;">戦国時代最後の合戦、「大坂・夏の陣」。</span><br />でも上杉軍は京都の守備を任されていたため、実戦には参加しませんでした。<br />一応、「夏の陣」では豊臣側が打って出てくると考えられたため、「京都を守る」というのは重要な役割ではあったのですが、事前の予想通り合戦は数日で終結したため、<span style="color: #800080;">上杉軍に出番はありませんでした</span>。<br /><br />ドラマでも、夏の陣の戦闘や経緯は完全にスルーでしたね。<br /><br />でもそれでは何なので･･･<br /><span style="color: #0000ff;">ここでは「大坂・夏の陣」の経緯を少し詳しく説明しましょう。</span><br /><br />「大坂・夏の陣」が始まったのは 1615 年の４月末。<br />兵力は<span style="color: #800080;">豊臣側が約７万５千</span>、<span style="color: #000080;">徳川側は１５万以上</span>だったと言われています。<br />相変わらず兵力には２倍の差がありますが･･･　豊臣家の当時の状況を考えると、７万でもかなりの大軍と言えます。<br /><br />まず豊臣家は首脳陣の一人で「<span style="color: #800080;">淀</span>」の側近である「<span style="color: #800080;">大野治長</span>」の弟、「<span style="color: #800080;">大野治房</span>」を大将として商業都市「堺」に進攻、ここを<span style="color: #ff0000;">焼き討ちして全焼</span>させます。<br />これは堺が徳川軍の前線基地になる事を恐れたからで、さらに南の紀伊半島の大名家「<span style="color: #800080;">浅野家</span>」の進攻を防ぐべく、和歌山方面に進軍するのですが･･･<br />浅野軍に返り討ちに遭い、<span style="color: #800000;">南方に進軍した豊臣軍はあっさり壊滅</span>してしまいます。<br /><br />そしてこれを受けて、徳川軍も大和（現在の奈良）方面から大坂城へと向かい、両軍が「<span style="color: #ff0000;">道明寺</span>」と言う場所で対峙します。<br />この「道明寺」という場所は山と川に挟まれた防衛に向いたポイントで、豊臣軍はここに<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>、<span style="color: #800080;">毛利勝永、明石全登、後藤又兵衛</span>という<span style="color: #ff0000;">主力武将を派遣</span>、徳川軍を迎撃しようと考えていました。<br /><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kamuraitao/imgs/0/9/09e78df1.png" target="_blank"></a><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/kamuraitao/imgs/0/c/0ce171eb.png" border="0" alt="大坂・夏の陣" hspace="5" width="504" height="369" /><br /><br />ところが、<span style="color: #ff0000;">この日は濃霧！</span>　霧で前が見えず、<span style="color: #800000;">部隊の進攻がバラバラ</span>になってしまいます！<br />これには豊臣軍が傭兵集団であり、非常時の部隊の統率に欠けていたのも影響があったようです。<br /><br />そして戦場に先にたどり着いたのは、兵力 2800 の<span style="color: #800080;">後藤又兵衛</span>の軍勢。<br />ところが<span style="color: #800000;">他の部隊はみんな遅れており</span>、しかも徳川軍はすでに道明寺に差しかかっていました。<br />そのためか、後藤又兵衛はそこにあった山を占拠し、単独で徳川軍を押し止めようとするのですが･･･<br />「騎馬鉄砲隊」を率いる<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#masamune" target="_blank">伊達政宗</a>や、<a title="本多忠勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondatada" target="_blank">本多忠勝</a>の子である<a title="本多忠政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaJR1" target="_blank">本多忠政</a>、猛将として知られた<span style="color: #800080;">水野勝成</span>など２万の軍勢から集中攻撃を受け、フルボッコになって壊滅。<br /><br />さらにそこに、霧を抜けて「<span style="color: #800080;">明石全登</span>」などの他の豊臣軍の部隊が到着。<br />後藤又兵衛を救援しようとすぐに徳川軍に向かっていくのですが、バラバラのタイミングで到着して敵に突っ込んでいったものだから、<span style="color: #800000;">戦力逐次投入の形</span>になり、突っ込んだ端から<span style="color: #800000;">各個撃破されていく展開</span>に。<br />こうして道明寺の午前の戦いで、<span style="color: #ff0000;">後藤又兵衛の他、多くの豊臣側の武将が戦死</span>することになってしまいます。<br /><br />後藤又兵衛を撃破した徳川軍はそのまま西に進み、山と川に挟まれた難所を通過。<br />そして午後に入って、ようやく<span style="color: #800080;">真田幸村</span>と<span style="color: #800080;">毛利勝永</span>がその地に到着します。<br />幸村は到着が遅れて後藤又兵衛を死なせてしまった事で落ち込んでいましたが、毛利勝永の励ましで奮起すると、伊達政宗の部隊に突撃！<br /><span style="color: #800080;">１万を超える伊達軍に大きな被害を与えます</span>。<br />徳川軍は大坂に近づく前に消耗することは避けるよう言われていたため、迎撃が後手になったとも言われています。<br />こうして幸村到着後の「道明寺の戦い」は、豊臣側が優勢になったのですが･･･<br />その北の方では、他の豊臣軍が苦戦していました。<br /><br />大阪城の西側では、徳川軍の<a title="井伊直孝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#iiJR" target="_blank">井伊直孝</a>と<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>が進軍中。<br />これを豊臣軍は豊臣秀頼の親友と言われる<span style="color: #800080;">木村重成</span>と、<span style="color: #800080;">長宗我部盛親</span>の軍勢で止めようとします。<br />そして長宗我部盛親と木村重成は、まず共同で藤堂高虎軍を撃破、当初は戦いを優勢に展開します。<br />しかしさらにやってきた井伊直孝の軍勢に対し、木村重成は<span style="color: #800000;">「兵が疲れているから一度休ませましょう」という家臣の意見を無視して連戦で挑み、敗退。 </span>そのまま<span style="color: #ff0000;">戦死</span>してしまいます。<br />こうなると長宗我部盛親も敵中に孤立してしまうため、優勢だったにも関わらず退かざるを得なくなり、これにより真田幸村も孤立する前に大阪城に戻らなければならなくなります。<br />大坂城はすでに防御力を無くしていたため、井伊直孝が大坂城に直進すると危険だったというのもあります。<br /><br />こうして大坂・夏の陣は、いよいよ<span style="color: #800080;">大坂城近郊の戦いに移ります</span>。<br /><br /><br />翌日、豊臣軍は大坂城の南に軍勢を集結、徳川軍もその地に集まり、いよいよ最後の決戦「<span style="color: #ff0000;">天王寺・岡山の戦い</span>」が始まります。<br />しかしすでに豊臣軍３万弱、一方の徳川軍は１０万以上･･･　大きな差がありました。<br /><br />戦いの前、真田幸村は<span style="color: #800080;">「豊臣秀頼」自身が出陣することを何度も要請しています。<br /></span>最後の決戦で勝つには大将自らが戦場にあって、兵士を鼓舞し、士気を高めないと勝てないと考えていたようです。<br />しかしこれは、<span style="color: #800000;">淀と側近の家臣が断固として拒否</span>。<br />幸村の再三の要請で城門までは行ったのですが、結局 秀頼は本丸に帰ってしまい、そのまま戦いが始まってしまいます。<br /><br />この最後の戦いは、<span style="color: #ff0000;">両軍が正面からぶつかった戦い</span>として知られています。<br />よって、部隊の移動に関する駆け引きなどはほとんどありません。<br />なぜなら豊臣軍にとって、もう勝つ方法は「<span style="color: #800080;">徳川家康の首を取る</span>」、これしかないからです。<br />総大将狙いの一発逆転しかなかった訳ですね。<br />「せめて家康を道連れに！」みたいな気持ちもあったのかもしれません。<br /><br />そのためか、この最終戦での豊臣軍の戦いぶりは凄まじく、特に<span style="color: #ff0000;">真田幸村の突撃は敵味方を問わず賞賛されたほどの苛烈なもの</span>で、前面に立ち塞がった徳川家の部隊を次々と討ち破り、徳川軍の本陣にも進入！<br />本陣の旗が踏み荒らされ、<span style="color: #800080;">徳川家康・徳川秀忠、双方の本陣が混乱状態に陥るほどのもの</span>でした。<br />この戦いで、徳川家康が切腹を考えたという話や、家康が討ち取られたという伝承もあるほどです。<br /><br />しかし、豊臣軍は多勢に無勢･･･<br />苛烈な突撃を見せた真田幸村もついに力尽き、戦死。 <span style="color: #800080;">統率を取り戻した徳川軍に豊臣側は撃破</span>されていきます。<br />開戦から３時間後、なんとか戦線を維持していた毛利勝永は全軍に大阪城内に退却するよう命令。<br />城を盾に最後の戦いを行おうとしますが、すぐに城内から火の手が上がり、大阪城は炎上。<br /><br /><span style="color: #ff0000;">その夜、豊臣家の命運は尽き、ここに戦国時代は終焉を迎えました。<br /></span><br />ドラマでは、大坂城が燃える炎を直江兼続が眺めていました。<br />実際に、大坂城炎上の際、京都からは大阪方面の空が真っ赤になるのが見えたと言います。<br />きっと上杉軍も、その光景に戦国の終わりを感じていたことでしょう。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 千姫が井戸に隠れて助かったけど、助けたのはホントに幸村なの？</span></strong><br /><br />ドラマでは非常に重要なシーンなのですが･･･<br /><span style="color: #ff0000;">ハッキリ言いますと、千姫救出に関するシーンは全部フィクションで、史実に沿っている部分がほとんどありません。<br /></span><br />いや、ドラマとしてはアレでいいとは思うんですけどね。<br />でも<span style="color: #ff0000;">史実とは別</span>にして考えて下さい。<br /><br />史実の千姫、そして豊臣家の最期についてですが･･･<br /><br />いよいよ大坂城が落城間近になると、淀は千姫に「<span style="color: #800080;">豊臣秀頼の助命嘆願をして欲しい</span>」と言って、護衛を付けて大坂城を脱出させます。<br />その後、千姫は「<a title="堀内氏久" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/saigaSS/index.htm#Huzihisa" target="_blank">堀内氏久</a>」という豊臣側の武将によって「<span style="color: #800080;">坂崎直盛</span>」という徳川側の武将に引き渡され、その案内によって父の「<span style="color: #800080;">徳川秀忠</span>」の元に到着、そしてすぐに徳川家康に豊臣秀頼の助命嘆願を行っています。<br /><br />しかし、<span style="color: #800000;">もはやこの状況で家康が助命嘆願など聞くはずはありません</span>。<br /><br />淀は秀頼と共に蔵の中に隠れていましたが、これは千姫による助命嘆願が承諾されるのを待っていたのだと言われています。<br />しかし音沙汰はなく、淀は助命が聞き入れられないことを悟ります。<br /><br />翌日、<span style="color: #ff0000;">淀と豊臣秀頼は、毛利勝永の介錯によって自害</span>。<br />毛利勝永もすぐに後を追い、豊臣家は滅亡しました。<br /><br />豊臣秀頼には側室との間に２人の子がいたのですが、息子（国松）は大坂から脱出していたものの、徳川家の捜索により発見され処刑されてしまいます。<br />ただ、薩摩（鹿児島）に落ち延びたという伝承もあるようです。<br /><br />秀頼の娘は大坂城落城時に徳川軍に捕らえられ処刑されそうになりますが、<span style="color: #800080;">千姫が身を挺してかばい</span>、出家することを条件に許されました。<br /><br />千姫はその後、本多忠勝の孫にあたる「<span style="color: #800080;">本多忠刻</span>」という武将に嫁いでいます。<br />なお、彼女を案内した坂崎直盛が後に千姫を奪おうとして、戦国時代には珍しい「三角関係」な事件が起きたとも伝えられています。<br /><br />ドラマでは、史実に沿っているのは淀が千姫を逃がしたという部分だけでしょうか･･･<br />まあ、ああいう事があった後ですから、千姫が家康を恨んだというのも、確かかもしれませんね。<br /><br /><br /><span style="color: #ff00ff;"><strong>○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">大阪の陣で出陣、鴫野の戦いで勝利し、京都を守備</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">景勝と共に鴫野の戦いで合戦後、京都を守備</span>）<br />　　　・志駄義秀（上杉軍に従軍）<br />　　　・色部与三郎（上杉軍に従軍）<br />　　　・直江景明（<span style="color: #000080;">上杉軍に従軍、徳川秀忠から感状（感謝状）を貰っている</span>）<br />　　・大国実頼（上杉家から退去。高野山で謹慎中）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（<span style="color: #800000;">史実では 1605 年に病死？</span>、ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いる</span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（大坂の陣で上杉軍に従軍、上杉家の重臣になっている）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #ff0000;">史実では 1611 年に病死</span>、ドラマでは･･･？）<br /><br />　　　・お船（景勝の子「玉丸」を養育中）<br /><br />　　　・お貞（直江兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名は不明）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（すでに隠居している）<br />　　　　・毛利秀元（輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br /><br />　　　&times;<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">真田幸村</span></a>（<span style="color: #ff0000;">大坂の陣で奮戦し戦死。 「日本一の兵」と称えられる</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">長宗我部盛親</span>（<span style="color: #ff0000;">大坂の陣で活躍、大坂を脱出するが捕らえられ処刑</span>）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">豊臣秀頼</span>（<span style="color: #ff0000;">大坂の陣で敗れ、自害。豊臣家滅亡</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">淀</span>（<span style="color: #ff0000;">大坂の陣で浪人を集め戦うが敗れ、秀頼と共に自害する</span>）<br /><br />　　　　・千姫（<span style="color: #000080;">大坂城から救出され、秀頼の助命嘆願を行った</span>）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">大坂の陣で大坂城を攻める。豊臣家を打倒し天下統一</span>）<br />　　　　・徳川秀忠（<span style="color: #000080;">二代目の将軍。大坂の陣にも参陣</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（大坂の陣では軍師として活動している）<br />　　　　・<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>（大坂の陣では内堀の埋め立てなどを指揮した）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">ドラマでは家康の豊臣攻めを止めようとした</span>）<br />　　　・黒田長政（大坂の陣で徳川軍として戦っている）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（大坂の陣では徳川軍の主力。でも結構負けてる）<br /><br />　　○その他の大名/人物<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">大坂の陣では騎馬鉄砲隊を率いて戦うが、真田幸村には苦戦</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a>（史実では病で寝込んでいる）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">前田利長</span>（<span style="color: #ff0000;">大坂の陣の少し前に病死</span>、前田利常が跡を継ぐ）<br />　　　　・本多政重（前田家の危機を何度か救い、重臣になっている）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />豊臣家が滅亡。 そして天地人も、次回で最後です。<br />「淀」の人物像については色々と言われていますが、結局この人は「普通の女性」だったのだと思います。<br />ねねのような政治的センスも、お市のような気丈さもない、夫と我が子を愛しただけの、普通の女性。<br />しかし普通の女性が背負うには、豊臣家の命運は重すぎたのでしょう。<br /><br />豊臣秀頼は若くして死んだので、大将としての才覚は解りませんが、徳川家康は会見した時に「賢き人なり。 人の意見を聞くような人では（人の意見に惑わされることは）ないだろう」と語っています。<br />ただ、淀は秀頼を可愛がるあまり、外に出すことは少なく、危ないからと言って武芸なども行わせていませんでした。<br />超温室育ちだった訳で、これでどこまで大将として通用したかは疑問です。<br /><br />「大坂・夏の陣」の戦いは、真田幸村が徳川家康の本陣に切り込む場面があるため、城田優の活躍や、家康に一泡吹かせるシーンなど、色々と「おいしい」場面が描ける素材だったと思うのですが･･･　ドラマでは全部スルーでしたね。<br />これはちょっと勿体なかったかなぁ･･･<br /><br />そしていよいよ、天地人も次回でラストです。<br />このブログも、次で終了になるでしょうか･･･？　総集編もあるとは思うけど。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十六回</span></strong><br /><br />・大阪府 大阪市<br />・鴫野古戦場の碑（大阪市立城東小学校内）<br />・真田幸村像（三光神社内）<br />・茶臼山<br />・安居神社（真田幸村戦死跡之碑）<br /><br />・<a title="天地人紀行 第四十六回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map46.html" target="_blank">天地人紀行 第四十六回</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十六回 「大坂城炎上」 その１</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1075185.html" />
<modified>2009-11-16T15:31:44Z</modified> 
<issued>2009-11-16T18:56:41+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1075185</id> 
<summary type="text/plain">戦国時代の終幕「大坂の陣」が描かれる回です。そして天地人も、今回と次回で終了となります。大阪の陣が描かれると言っても、大坂の陣の戦いの模様はほとんどなく、物語の中心と言える直江兼続と徳川家康の対面シーンや、千姫救出のシーンは、すべてフィクションです。ドラ...</summary> 
<dc:subject>第46回～最終回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1075185.html">
<![CDATA[<p>戦国時代の終幕「<span style="color: #ff0000;">大坂の陣</span>」が描かれる回です。<br />そして天地人も、今回と次回で終了となります。<br /><br />大阪の陣が描かれると言っても、大坂の陣の戦いの模様はほとんどなく、物語の中心と言える<span style="color: #800000;">直江兼続と徳川家康の対面シーン</span>や、<span style="color: #800000;">千姫救出のシーン</span>は、すべて<span style="color: #ff0000;">フィクション</span>です。<br />ドラマとしては面白かったと思いますが、<span style="color: #ff0000;">史実とは全く違う</span>ので、この点は間違わないようにしましょう。<br /><br /><span style="color: #800000;">なお、今回は内容が長くなるため、今日明日の２回に分けて投稿いたします。<br />ご了承下さい。&lt;(_ _)&gt;<br /></span><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1614年 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」から１４年後<br />・徳川家康が「江戸幕府」を作ってから１１年後<br />・徳川家康が将軍職を息子の「徳川秀忠」に譲ってから９年後<br />・つまり、すでに世の中は徳川幕府の統治による「江戸時代」になっている<br />・戦国時代の大名達の戦いが「昔語り」として伝えられていた頃<br />・豊臣家を徳川家が攻めた「大坂・冬の陣」があった年<br />・キリスト教の信仰はこの数年前から禁止されている</span><br /><br />すでに「<span style="color: #0000ff;">太平の世</span>」と言っていい時代です。<br />もちろん多くの大名家はまだ武装していましたし、戦国時代を生きた多くの武将達も残っています。<br />しかし、その武将達もすでに戦国の終焉を感じていた頃ですね。<br />でもその一方で、この数年前から豊臣家は急に浪人を雇い、兵糧や武器の蓄えも開始していていて、それに対抗するように徳川家も武器や大砲の製造などを開始。<br />大きな戦いが起こるのではないかという予兆が見えていた時期です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川秀忠と伊達政宗の要請で、直江兼続が大坂攻めを中止するよう直訴してたけど？<br /></span></strong><br />この話は、これの「元ネタ」になりそうなものも含め、私は全く聞いたことがないので、おそらく<span style="color: #ff0000;">天地人での完全な創作</span>だと思います。<br /><br />史実の<span style="color: #800080;">徳川秀忠</span>は大坂城攻めで「<span style="color: #000080;">関ヶ原の時の汚名を晴らす！</span>」と徳川家康が止めるのも聞かずに先陣を望んだぐらいですし、上杉家も「<span style="color: #000080;">謙信公以来の武門を見せる時が来た</span>」と張り切っていました。<br /><a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#masamune" target="_blank">伊達政宗</a>はドラマでもイヤイヤ中止を要請していた感じでしたが、実際に政宗が合戦を止めるようなことを言うのはあり得なかったでしょう。<br /><br />天地人のストーリーを考えると、このまま上杉家が豊臣家を攻めると単なる「裏切り」みたいに見えますから、それを修正するための物語上の展開だと思われます。<br />史実とはまったく異なりますが、「<span style="color: #000080;">天地人の物語</span>」としては必要なシーンだったと言えますね。<br /><br />ただ、豊臣秀頼に嫁いだ「<span style="color: #800080;">千姫</span>」の事は、父の徳川秀忠も、祖父の徳川家康も気がかりだったようです。<br />後に家康は「<span style="color: #000080;">千姫を救出した者は十万石の大名にしてやる！</span>」という告知を出しています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「真田幸村」再び戦場に登場！ でもなぜ幸村は豊臣側に？</span></strong><br /><br />城田優が再び赤い甲冑を着て、豊臣側の将として登場します！<br /><a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>にお呼びがかかったのは、ドラマで淀が語っていたように、「<span style="color: #000080;">真田家は２度に渡って徳川家を討ち破った</span>」過去があるからです。<br /><br />一度目は 7000 の徳川軍を 1000 程度の兵で完膚無きまでに討ち破った「上田城の戦い」。<br />この様子は <a title="真田幸村参上" href="http://tentijin.net/archives/732546.html" target="_blank">第二十二回 真田幸村参上</a> の回で解説しています。<br />もう一つは 3500 程度の兵力で３万以上の徳川秀忠軍を足止めした、<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>の際の「第二次 上田合戦」です。<br /><br />ただ、この２つはどちらも父の「<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>」の指揮によるもの。<br />真田幸村は真田昌幸の息子ではありますが、大坂城入城の時点では特に手柄はないため、徳川家康は「<span style="color: #000080;">真田が大阪城に入った</span>」という報告を聞いて驚きますが、「<span style="color: #000080;">息子の方だった</span>」という続報を聞いて安心した、と言われています。<br />しかしこの真田幸村の活躍で、徳川軍は大きな被害を被ることになります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川20万、豊臣12万。 豊臣に味方した大名は皆無、その割に豊臣多くない？</span></strong><br /><br /><a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>は全国の大名に豊臣討伐のため参陣するよう要請、そして全国から軍勢が集まりました。<br />一方、豊臣家も全国の大名に味方するよう嘆願しますが、<span style="color: #ff0000;">応じた大名家は１つもありません。<br /></span>その割には･･･　豊臣家には<span style="color: #ff0000;">１２万の兵力</span>が集まっています。<br />これはこの「大坂の陣」という戦いがいかに「特殊だったか」を物語っていると言えます。<br /><br />豊臣家はこの数年前から資金を惜しみなく使い、全国から浪人を集めました。<br />「関ヶ原の戦い」の際、西軍に味方して没落してしまった大名家やその家臣、武士達が全国にたくさんいたため、その浪人達たちが<span style="color: #800080;">関ヶ原のリベンジ</span>と「<span style="color: #800080;">お家再興</span>」を目指し、数多く大坂に集まったのです。<br /><br />主な武将としては、<br />関ヶ原の後に取り潰された四国・長宗我部家の末裔「<span style="color: #000080;">長宗我部盛親</span>」、<br />関ヶ原で毛利軍として布陣していた「<span style="color: #000080;">毛利勝永</span>」、<br />関ヶ原の宇喜多軍の主力で熱烈なキリシタン、徳川家のキリスト禁止に反発していた「<span style="color: #000080;">明石全登</span>」、<br />他にも武闘派として有名な「<span style="color: #000080;">後藤又兵衛（後藤基次）</span>」や、大谷吉継の子「<span style="color: #000080;">大谷吉治</span>」、仙石久秀の子「<span style="color: #000080;">仙石秀範</span>」などがいます。<br /><br />もちろん豊臣家に恩義を感じていて、それで豊臣家に従った武将もいます。<br />福島正則の子「<span style="color: #000080;">福島正守</span>」なんかもそのようですが、でも父の「<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>」本人は、徳川家から「危険人物」として目を付けられていたため、江戸で軟禁状態にされていました。<br />また、「<span style="color: #800000;">これが戦国最後の合戦だろう。豊臣家に従って死に花を咲かせよう</span>」と考えて、最初から死ぬつもりで参加した武将も多かったようです。<br />三好家の生き残り「<a title="三好政康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/miyosiSS/index.htm#3masayuki" target="_blank">三好政康</a>」も、そうした「死に花」組だったようです。<br /><br />そして豊臣家の一般兵士には、<span style="color: #800080;">傭兵や傾奇者（かぶきもの）が多かった</span>ことも特徴です。<br />各地で合戦があった戦国時代、お金を貰って兵士になる「野武士」などと呼ばれた傭兵まがいの集団が多くいました。<br />しかしそうした集団は、太平の世になると仕事がなくなります。<br />そのためその多くは<span style="color: #800080;">一攫千金や出世を夢見て大阪城に入った</span>ようで、中には山賊の類もいたようです。<br /><br />傾奇者（かぶきもの）は今で言う「不良」「ヤンキー」みたいなものですね。<br />こうした人・グループの多くは当時、戦国の世に「あこがれ」のようなものを持っていたようで、合戦での活躍と立身出世を夢見て、大坂城に傭兵として入る者が少なくなかったようです。<br />すでに「関ヶ原の戦い」から１４年･･･　当時は<span style="color: #800080;">「戦国」がすでに「現実」ではなく「物語」になりつつあった時代</span>でした。<br /><span style="color: #800000;">（だからこの手の人の中には、ゴテゴテに着飾って出陣し鎧が重すぎて馬がバテて身動き取れなかったとか、めちゃデカい旗を背負って現れて突風にあおられハデに落馬したとか、色々笑い話になってる人も多いです）<br /></span><br />これらを集めたことで、豊臣家は１０万以上という、当時の豊臣家の規模から考えると<span style="color: #800080;">かなり大多数</span>といえる兵力を集める事が出来た訳ですが･･･<br />しかし中を見てみると、<span style="color: #800000;">傭兵や素性の知れない者の寄せ集め</span>。 徳川軍は大名家の正規軍。<br />これでは「大坂城」があっても、勝つのは難しかったのが実情です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 大坂の陣で戦っていた上杉家、その戦いぶりはどうだったの？</span></strong><br /><br />ドラマでは上杉家の戦いぶりは、ほとんど描かれていませんでした。<br />「<span style="color: #000080;">戦ったのでございます</span>」で終わっていましたが･･･<br /><br />上杉軍は「<span style="color: #ff0000;">大坂・冬の陣</span>」では約 5000 の兵を率いて「<span style="color: #ff0000;">鴫野（しぎの）の戦い</span>」という合戦を行っています。<br />これは大坂城の西で行われたもので、豊臣軍はここを約 2000 の兵で守っていましたが、上杉軍はこれを撃破。<br />その後、豊臣軍はこの報告を聞いて１万以上の兵力を救援に向けますが、徳川軍もすぐに救援を出し、両軍激戦となった末に上杉軍が豊臣軍を押し返しています。<br />この時、上杉軍は部隊を左右に分け、その中に入り込んだ敵に鉄砲を一斉掃射し、さらに追撃するという作戦を取ったと言います。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/kamuraitao/imgs/d/0/d09be63f.jpg" border="0" alt="鴫野の戦い" hspace="5" width="504" height="322" /><br /><br /><span style="color: #800000;">※上記の画像は現在の地形であり、当時の地形とは異なります。<br /></span><br />さらに北の方では、古くからの同盟国である大名家「佐竹家」の軍勢が苦戦していたのですが、これの救援も行って、その方面の豊臣軍も撤退させています。<br /><br />なお、この地点を占領後、徳川家康は別の部隊と交替して休むよう命令したのですが、<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>は「<span style="color: #000080;">武士として生まれ先陣を争い、身を粉にして戦って奪った土地を、他人に任せることなど出来ない！</span>」と、これを拒否するという一幕があったようです。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「真田幸村の奮戦で徳川に大打撃を与えた」って言ってたけど、どうやって？</span></strong><br /><br />「大阪・冬の陣」でもっとも激戦となったのが、真田幸村が築いた出城<span style="color: #ff0000;">「真田丸」の攻防</span>です。<br />出城とは、その名の通り城の外壁などの出っ張った部分に築かれた小型の城や砦のことですね。<br /><br />大坂城は、周囲を淀川や大和川などの大きな川に囲まれた、「天然の水掘」がある城でした。<br />しかし<span style="color: #800080;">南側には川がなかったため比較的手薄</span>で、徳川軍もそこからの進攻を準備します。<br />そこで<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>は、そこに城を築き、それを前線の防衛拠点として敵の進攻を阻もうとしました。<br /><br />ただこれは戦術的な理由以外に、「<span style="color: #800080;">自分の思い通りに戦いたいから</span>」というのもあったようです。<br />真田幸村は当初、大坂城から出撃して各地で敵を遊撃する「積極策」を主張していました。<br />しかしそれは却下され、豊臣家の首脳部は大坂城で篭城する作戦を取ります。<br /><br />真田幸村は豊臣家にお願いされて大坂城に入った訳ですが、豊臣家の中枢部は<span style="color: #800000;">淀とその周辺の家臣</span>。<br />幸村が作戦を提案しても、なかなか通らなかったようですね。<br />そこで本陣から離れ、真田家の家臣団だけで守る「真田丸」での防衛を決めたようです。<br />いずれにせよ、敵の進攻方向が決まっている以上、そこで守りを固めるのは定石ではあります。<br /><br />開戦時の<span style="color: #ff0000;">大阪城南部の布陣と、各軍の進行方向</span>は以下のような形です。<br /><br /><img class="pict" src="http://livedoor.blogimg.jp/kamuraitao/imgs/a/4/a43b8c7c.png" border="0" alt="真田丸の攻防" hspace="5" width="407" height="469" /><br /><br />大坂城のような巨大な城をまともに攻めても大被害が出るだけです。<br />それは徳川軍も解っていましたから、<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>は当初、<span style="color: #800080;">包囲だけして打って出ないよう命令</span>していました。<br />しかし<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>は、真田丸の前面にある「篠山」という山に伏兵を潜ませておき、前田軍に何度も鉄砲を撃って挑発します。<br />そのため前田軍は数日後、篠山に一斉攻撃をかけますが･･･　もぬけの殻。<br />真田軍はすでに篠山から退いていて、しかもその様子を見て<span style="color: #000080;">ワザとバカにするように大爆笑</span>します。<br /><br />これでキレた前田軍の先発部隊の一部が、ついに<span style="color: #ff0000;">真田丸に攻撃を開始</span>！<br />するとこれを「<span style="color: #800080;">前田軍の抜け駆け</span>」かと思った <span style="color: #000080;">井伊直孝、松平忠直</span>、<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a> の部隊も真田丸に殺到します！<br />前田軍も前線部隊を放置しておけないので進攻を開始、しかしそれは真田幸村の思う壷でした。<br /><span style="color: #ff0000;">十分に引きつけ、敵が城壁に取り付いたところで真田幸村は反撃を開始</span>！<br />準備していた罠や鉄砲隊で一斉に徳川軍を撃ちのめします。<br /><br />しかもここで不意の事態が発生、真田丸の後方の大坂城内で、<span style="color: #ff0000;">火薬の爆発事故</span>が起きて櫓が焼け落ちたのです。<br />徳川軍は事前に、豊臣軍の武将「<span style="color: #800080;">南条元忠</span>」という人に合戦中に寝返るよう調略（寝返り工作）をかけていました。<br />真田丸の後方の事故は<span style="color: #800080;">この南条元忠の寝返りによるものだと思った</span>徳川軍は、これをチャンスと見てさらに一斉に攻撃を開始！<br />ところがこれは単なる事故。 実は南条元忠は、<span style="color: #ff0000;">すでに寝返りがバレて処刑されていた後</span>でした。<br />おまけに豊臣軍の「<span style="color: #800080;">後藤又兵衛（後藤基次）</span>」が、南条元忠の署名で「バッチリ寝返りますよ～」という「偽書」を徳川軍に送っていたものだから、徳川軍はみんな勘違いしてしまいます。<br /><br />こうして徳川軍は爆発事故のあった辺りで城門が開くものと思い進軍しますが、<span style="color: #800000;">当然開かない上に城内から攻撃を受けまくってボコボコ</span>に。<br />真田丸を攻めていた部隊も鉄砲射撃でさんざんに撃ちのめされ、ついに撤退を開始しますが、すかさずここで真田軍、及び後方の豊臣軍が一斉に打って出ます。<br />後はもう掃討戦に近い状態となり、<span style="color: #ff0000;">徳川軍は大被害を被って撤退</span>することとなりました。<br /><br />その後、この被害を見て徳川家康は<span style="color: #800080;">大坂城を力攻めで落とすことを断念</span>。<br />豊臣側との和平交渉を開始します。<br /><br />一方、豊臣側の方も大砲を連日撃ち込まれていて疲労困ぱい。<br />昼夜問わず飛んでくる大砲で守備兵は夜も寝られない状態で、特に大坂城の本丸に大砲が命中し、<span style="color: #800080;">淀の目の前で侍女の一人が死んだため、当初はやたら強気だった淀も一気に意気消沈</span>。<br />そのまま和平交渉に応じることを決めます。<br /><br />豊臣側は大坂の陣になっても「淀」が強い力を持っていましたが、彼女はやはり女性。<br />連日撃ち込まれる大砲に怯えていたようで、これも豊臣側が長期戦が出来ない理由であったようです。<br /><br />こうして、「大坂・冬の陣」は終わりますが･･･<br />それは「大坂・夏の陣」の始まりに過ぎませんでした。<br /><br />-------------------------<br /><br /><span style="color: #800000;">続きはまた明日、投稿いたします。</span></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十五回 「大阪の陣へ」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1063736.html" />
<modified>2009-11-10T13:22:48Z</modified> 
<issued>2009-11-09T21:09:10+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1063736</id> 
<summary type="text/plain">時間が一気に進み、「関ヶ原の戦い」後の状況から「大坂の陣」へと至る過程が描かれる回ですが･･･しかしストーリーの構成が最優先されており、「大坂の陣」に至る過程の大部分は省略されていたと言えます。時代が移り変わっていく中で、「考えを変える者」と「変えない者」の...</summary> 
<dc:subject>第41回～第45回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1063736.html">
<![CDATA[<p>時間が一気に進み、「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」後の状況から「<span style="color: #ff0000;">大坂の陣</span>」へと至る過程が描かれる回ですが･･･<br />しかしストーリーの構成が最優先されており、<span style="color: #800000;">「大坂の陣」に至る過程の大部分は省略されていた</span>と言えます。<br />時代が移り変わっていく中で、「考えを変える者」と「変えない者」の差が表現されていた回でもありましたね。<br /><br />時間の流れが早かった事もあり、初回から登場していた上杉謙信の姉「仙桃院」は今回でついに退場です。<br />さらに登場したばかりの「本多政重」こと直江勝吉もおそらく今回で降板、直江兼続の子「竹松」もこども店長から一気に青年になります。<br />天地人もいよいよ大詰め、残すところ後わずかですね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1605年3月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・徳川家康が（名目上）隠居して、将軍職を息子の「徳川秀忠」に譲った頃<br />・これにより徳川家が将軍職を豊臣家に返す気がないことが示される<br />・これによりますます豊臣家の権威が落ちている頃</span><br /><br />上記はあくまで、今回のドラマの「開始時」の話です。<br />今回はこれまで放映された「天地人」の中で、もっとも「時間の流れが早かった回」です！<br /><span style="color: #ff0000;">実は<strong>今回だけで、約１０年も経過</strong>しています！！</span><br />しかし１０年も経っているのに、劇中で年月が進んだことを示すテロップが出なかったので、歴史に詳しくない人だとまさかそんなに経ってるとは思わなかったでしょう。<br />途中で「<span style="color: #800080;">五年の月日が流れ･･･</span>」というセリフが一言あったのみでしたからね。<br />演出側も、時間の流れをあまり表現したくなかったのかもしれません。<br />「その間に何もなかったのか？」という話になってしまいますから･･･<br /><br /><br /><span style="color: #ff00ff;"><strong>○ 徳川家康が息子に将軍を譲ったの？ じゃあもう家康はただの隠居ジジイ？<br /></strong></span><br /><a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>は江戸に「幕府」を開いて、わずか２年で隠居してしまいます。<br />しかし隠居と言っても実際には大きな権力を持っていたままであり、まだまだ政治に口出ししていました。<br /><br />むしろ徳川家康は「<span style="color: #800080;">駿府城</span>」という自分の城を新たに作らせ、そこに重臣を集めて幕府に様々な指示を出していました。<br />つまり実権は徳川家康が持っていたままだった訳で、これを「<span style="color: #ff0000;">大御所政治</span>」と呼びます。<br /><br />今でも、会長の方が社長より権力を持っていて会社の運営にも口出ししている場合や、古参の大物政治家が実権を握ったままになっているような場合には、「大御所政治」と呼ばれることが多いですね。<br /><br />家康がこの「大御所政治」の体制にしたのは、幕府の将軍職を自分の息子に継がせる、つまり<span style="color: #ff0000;">徳川家の世襲である</span>と公表することで、豊臣家に権力を返す気がないこと、天下の主は徳川家であると言う事を知らしめるためであったようです。<br />ちょうどこの前年、二代目の将軍となった「<span style="color: #800080;">徳川秀忠</span>」には息子が産まれていました。 後の三代将軍「<span style="color: #800080;">徳川家光</span>」です。<br />家康&rarr;秀忠&rarr;家光 という世襲の形がハッキリ見えたことも、この早期の隠居に影響したと思われます。<br /><br />ただこういう理由がなくても、戦国時代に「<span style="color: #800080;">主君が息子に早い段階で家を継がせて、自分は大御所として運営に参加する</span>」というのは、非常に一般的な事でした。<br /><a title="上杉謙信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kensin" target="_blank">上杉謙信</a>が死んで、上杉家で「御館の乱」が起こったのを見てもわかる通り、早く跡継ぎの体制を整えておかないと「跡継ぎ争い」が起こる危険があります。<br />戦国時代はいつ死ぬか解らない時代。 <span style="color: #800080;">出来たばかりの幕府に一刻も早く世襲の形を作り上げたかった</span>、というのが本音だったと思われます。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 豊臣秀頼に嫁いだ徳川家康の孫娘「千姫」って？</span></strong><br /><br />今回初登場、大坂の陣の１つのポイントとなった姫が、この「<span style="color: #ff0000;">千姫</span>」です。<br />父は二代目の将軍「<span style="color: #800080;">徳川秀忠</span>」、母は<a title="浅井長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#asainaga" target="_blank">浅井長政</a>と<a title="お市" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#sonota" target="_blank">お市</a>の娘「<span style="color: #800080;">浅井三姉妹</span>」の一人である「<span style="color: #800080;">江</span>」です。<br />「江」は、2011 年の NHK 大河ドラマ「江 ～姫たちの戦国～」で主人公となる人物です。<br /><br />千姫はわずか７歳で、家康の命令で豊臣秀頼に嫁ぎます。俗に言う「<span style="color: #ff0000;">政略結婚</span>」です。<br />二代目の将軍となる徳川秀忠の娘で、家康の孫娘でもある彼女を豊臣家に嫁がせる事で、徳川家康はなんとか豊臣家を懐柔し、交渉で臣従させたいと考えていたようです。<br /><br />豊臣秀頼と千姫の仲は非常に良かったと言われており、淀と千姫の仲も当初は悪くなかったと言われています。<br />ただ、秀頼と千姫の間に子供が出来ていないため、淀により物心がついた頃にはすでに遠ざけられていた、という説も有力なようです。<br />この辺りは当時の大坂城の内情を示すものが少ないため、詳細はよく解っていません。<br /><br />母「お市」の美貌を受け継いだと言われる美人で、「大坂の陣」でドラマチックな行動・境遇にあったこともあり、<span style="color: #800080;">多くの小説やドラマで取り上げられている人</span>ですね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回は約１０年経過！？ 「大坂の陣」に至った経緯って何なの？</span></strong><br /><br /><span style="color: #800000;">ドラマでは「大阪の陣」に至る過程は「最初と最後の部分」だけしか描かれていませんでした。<br /></span><br />とは言え、もっとも重要な部分･･･　すなわち、徳川家康が将軍職を息子の「徳川秀忠」に譲って、豊臣家に政権を返すつもりがないのを示したこと、<br />「淀」が意地でも徳川家に従うつもりがなく、我が子の豊臣秀頼こそが天下の主だと主張し続けていたこと、<br />徳川家康が豊臣家が作った鐘に「国家安康」と書かれているのを見て、「家康の文字を分けて呪っているものだ！」という「言いがかり」を付けたと言う事、<br />この３点は表現されていました。<br /><br />しかし、なにせ実際には約１０年も経っているのです。<br />徳川家康が将軍職を息子の「秀忠」に譲って、それに「淀」が怒って、だから家康が「言いがかりを付けた」では、<span style="color: #ff0000;">一見繋がりそうで、ホントは繋がりません</span>。<br /><br />では一体、この期間に何があったのか･･･<br /><span style="color: #0000ff;">「大坂の陣」に至る流れをもう少し詳しく説明すると、以下のようになります。<br /></span><br />-----------------------------<br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」で徳川家康が勝ち、石田三成が負ける。（1600年）<br /><br />・石田三成ら大坂の首脳陣がいなくなり、豊臣秀頼もまだ幼かったため、その母である<span style="color: #ff0000;">「淀」に権力が集中</span>してしまう。（1600年）<br /><br />・豊臣家は大幅に領地減少。西軍側の多くの大名家も領地を没収され、上杉家も領地を大幅に減らされ米沢に移転する。（1600年～1601年）<br /><br />・徳川家康が朝廷から「征夷大将軍」という役職（官職）を与えられ、江戸に<span style="color: #ff0000;">「徳川幕府」を開く</span>。（1603年）<br /><br />・徳川家康、娘の「千姫」を豊臣秀頼に嫁がせる。つまり豊臣家への懐柔策を取る。（1603年）<br /><br />・年始の挨拶で多くの大名が徳川家康の元を訪れるが、豊臣家に最初に挨拶をした大名はいなかった。（1604年）<br /><br />・幕府政治が機能し始めることにより、豊臣家の権威がさらに衰退していく。直江家では本多政重が養子入り。（1604年）<br /><br />・徳川家康が隠居、将軍職を息子の「徳川秀忠」に譲る。これにより徳川家が「将軍」を務め続ける事がはっきりし、<span style="color: #ff0000;">豊臣家に権威を返す気がないことが示される</span>。（1605年）<br /><br />・徳川家康が豊臣秀頼に新しい将軍への挨拶を要請。しかし<span style="color: #ff0000;">淀はこれを拒否</span>し、「<span style="color: #ff0000;">豊臣家は臣従するつもりはない、強制するなら秀頼と切腹する</span>」と、徳川家に対する態度を明確にする。 家康はこれを穏便に済ませるが、諸国に緊張が走り、京都・大坂では合戦に備え逃げ出す人が多く出る。（1605年）<br /><br />・家康の新しい城「駿府城（静岡県静岡市の城）」の大改修開始。豊臣家もこの改修を要請され、これに応じる。（1606年）<br /><br />・駿府城が完成。徳川家康はそこに移り、なおも政治に関与する。俗に言う「大御所政治」の体制が出来る。（1607年）<br /><br />・徳川家と豊臣家の交渉が続いていたと言われているが、進展なし。 上杉謙信の姉「仙桃院（仙洞院、綾）」はこの頃に病死している。（1608年～1610年）<br /><br />・新しい天皇が即位する事を契機に、徳川家康が天皇への挨拶を豊臣秀頼に要請。同時に、家康と秀頼の会見も要請する。これに淀は反対するが、加藤清正、福島正則、高台院（秀吉の妻。北政所、ねね）などが説得を行う。秀頼自身が会見を望んでいたとも言われている。（1611年）<br /><br />・<span style="color: #ff0000;">徳川家康と豊臣秀頼が京都で会見</span>。家康は立派になった秀頼を見て、「親離れや淀の説得を期待した」とも「その存在に危機感を持った」とも言われている。会見自体は和やかに終わったという。（1611年）<br /><br />・会見の成功に尽力し、秀頼の護衛も行っていた加藤清正が、帰国中に船上で病となり急死。なお、豊臣家と徳川家の双方に近く、加藤清正と共に会見で秀頼を護衛していた浅野長政も同時期に病死している。（1611年）<br /><br />・直江家では養子になっていた本多政重が直江家を出奔（退去）、前田家に仕官する。（1611年～1612年）<br /><br />・豊臣家はこの頃、前田家に援助を要請していた模様。 徳川家は各地の大名家から「幕府に背かない」という内容の誓詞（約束）の提出を要請している。（1612年）<br /><br />・前田家、領地の返上を幕府から迫られたり、謀反の疑いをかけられたりするが、本多政重が交渉役を務め、この危機を乗り切る。（1612年～1613年）<br /><br />・豊臣秀頼が朝廷（天皇家）から、より上位の官位を得る。 <span style="color: #ff0000;">この時の朝廷への要請は幕府の定めた法令を無視して行われたものだった。 </span>また、この頃から豊臣家は浪人の雇用や兵糧の蓄えなどを積極的に始める。（1612～1613年頃）<br /><br />・幕府は豊臣家に対し、各地の寺院の修繕などを要請する。豊臣家はこれに従う。幕府側も武器の調達などを開始する。（1612～1614年）<br /><br />・前田利長（前田利家の子）、池田輝政や浅野幸長など、豊臣家に近い高齢な大名の病死が続く。（1612年～1614年）<br /><br />・徳川家康、豊臣家が「方広寺」というお寺に作った「鐘」に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれているのを見て、<span style="color: #ff0000;">「家康の字を分けて呪い、豊臣が主君になる意味だ」という「いいがかり」を付ける</span>。（1614年）<br /><br />・豊臣家、家臣の片桐且元などを派遣して家康に弁明。 徳川家康は「秀頼の臣従、淀を江戸へ人質に出す、国替え（移転）する」の３つの条件のどれかを承諾するよう返答。 豊臣側はこれを拒否。（1614年）<br /><br />・豊臣家で和平派だった片桐且元、暗殺されそうになり豊臣家を脱出。 豊臣家は合戦の準備を開始し、徳川家康は豊臣家討伐を宣言。（1614年）<br /></span><br />-----------------------------<br /><br />以上が「大坂の陣」に至る経緯です。<br /><br />年表を見てもわかる通り、重要な出来事は1605年の「<span style="color: #800080;">徳川秀忠の将軍就任と淀の挨拶拒否</span>」、1611年の「<span style="color: #800080;">徳川家康と豊臣秀頼の会見</span>」、1613年頃の「<span style="color: #800080;">豊臣家が幕府を無視して官位を要請、豊臣と徳川の双方が合戦準備を開始</span>」の３つですね。<br /><br />淀が徳川幕府に従わない姿勢を表面化させてから、徳川家康と豊臣秀頼が会見を行うまで、<span style="color: #ff0000;">６年も間がある</span>ことがポイントです。<br />1605年に淀が反徳川の姿勢を見せた時、合戦になると各地が緊張状態になったのですが、徳川家康はこの時は事を穏便に済ませました。<br />この時点では、なんとか豊臣家を交渉で臣従させたいと考えていたようです。<br />しかし６年も交渉しても結果が出ず、1611年に何とか<span style="color: #ff0000;">秀頼と家康の会見まで持ち込んだ</span>ものの･･･　そこから<span style="color: #ff0000;">両者の関係は急速に悪化</span>してしまいます。<br /><br />この急速な悪化は、一般には「<span style="color: #800080;">家康が立派な秀頼を見て危機感を抱いたから</span>」と言われることが多いのですが、豊臣家の実権は相変わらず「淀」が握っていたため、「<span style="color: #800080;">最後の手段であった会見も、淀の存在や考えを変えることが出来なかったから</span>」という見方の方が自然かもしれません。<br /><br />また、この頃から豊臣家の方も急に軍備を始めているので、「<span style="color: #800080;">豊臣家が焦り始めた</span>」という見方が一般的なようです。<br />焦り始めた理由は正確には解りませんが、豊臣家に近い有力大名の高齢化や病死が進んでいたことや、徳川幕府の体制が年々強固になっていった事など、理由はいくつも考えられます。<br /><br />なお、ドラマの冒頭の解説で「家康が秀頼の関白を剥奪」という説明がありましたが、これについては詳細がよくわかりませんでした･･･<br />家康の城「駿府城」の工事を豊臣家にも要請したのは、確かに「<span style="color: #800080;">豊臣家が他の大名家と同列に扱われた</span>」事を示すものですが、緊張が走っていた時期だったことと、これがあってから大阪の陣が起こるまでに８年、会見までも５年あるので、逆に融和策だったのではないかという見方もあります。<br />いずれにせよ淀にとっては面白くなかったと思いますが。<br />冒頭の説明だけ見ると、駿府城の工事が引き金のように思ってしまいがちですが、実際には間にかなり長い年月が入っているというのに注意しましょう。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ いきなり「直江勝吉（本多政重）」が直江家を出て行ったけど、なんで？</span></strong><br /><br />ドラマでは呼び出されたような感じで直江家を出て行った<span style="color: #800080;">本多政重</span>。<br />実際には、彼は「出奔」（勝手に出て行ってしまう事）だったようです。<br /><br />なぜ彼がいきなり上杉家を出奔してしまったのか･･･　<span style="color: #800000;">その理由は不明です</span>。<br />ドラマでは出てきませんでしたが、彼は最初の妻（直江兼続の娘、お松）に死なれた４年後、直江兼続の弟「<span style="color: #800080;">大国実頼</span>」が養育していた娘「<span style="color: #800080;">お虎</span>」と再婚しています。<br />この時には本多家（<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>の本家）から、お祝いとして幕府に収める税金の免除なども受けています。<br /><br />しかしその２年後･･･　直江家から出ていってしまい、当時は120万石の大大名だった<span style="color: #800080;">「前田家」に仕官</span>しています。<br />彼は直江家に来る以前は前田家にいた人なので、前田家に戻った、とも言えます。<br />そして前田家に再仕官した後、妻（お虎）と多くの直江家の家臣が、彼を追って前田家に行っています。<br /><br />出奔した際にはその要因が一緒に記録に残っている事が多いのですが、彼についてはどうも不明なようです。<br />ケンカ別れなのか何なのか？　家臣も前田家に行っているので財政的な問題だったのか？　それとも何かの交渉や計画があったのか？<br />詳しいことが解らないので、何とも言えませんね。<br />ドラマで描かれていたように、<span style="color: #800080;">直江兼続に実子がいて、病弱だったけど無事に成長したので、自ら出て行くことにした</span>、という説も確かにあるようです。<br /><br />その後、彼は前田家が徳川幕府から領地（越中）の召し上げをされそうになった時や、兄の「<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>」から謀反の疑いをかけられたりした時に、懸命の弁明を行って前田家の危機を救い、家老にまで出世しています。<br />前田家は当時、ちょうど<span style="color: #800080;">豊臣家に頼られていた時期</span>で、重要なポイントにあった大名家だったので･･･<br />そこに急に出奔したあたりも、彼が「間者」と言われる要因の１つかもしれません。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「国家安康」は家康の字を分けて呪ってるって、本当？</span></strong><br /><br />徳川家康が豊臣家に「<span style="color: #ff0000;">言いがかり</span>」を付けた、有名な「<span style="color: #ff0000;">方広寺鐘銘事件</span>」。<br />豊臣家が「方広寺」というお寺に収めた鐘に「<span style="color: #800080;">国家安康</span>」「<span style="color: #800080;">君臣豊楽</span>」と書かれているのを見て、「<span style="color: #800000;">これは『家康』の字を２つに分けて呪い、さらに『豊臣』が主君になって栄えるという意味だ！</span>」と言いがかりを付け、豊臣家に釈明を求めた事件です。<br />「大坂の陣」の直接のきっかけになった事件として知られていますね。<br /><br />ドラマではこの「言いがかり」を直江兼続のライバル役をしている「<span style="color: #800080;">遠山康光</span>」が進言していましたが、史実でこれを言いだしたのは、後に「<span style="color: #800080;">黒衣の宰相</span>」と呼ばれる徳川家康の参謀の僧侶「<a title="以心崇伝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#isinsuuden" target="_blank">以心崇伝（金地院崇伝）</a>」です。<br />彼はそれ以前から、「豊臣家に各地の寺院の修繕を命じて、その資金力を削ぐ」という案を提示していました。<br />その寺院の修繕で作られた鐘の文章にこのイチャモンを付けた訳ですから、まさに豊臣家は<span style="color: #800080;">以心崇伝の術中にハマった</span>とも言えます。<br />また、これを元に豊臣家を攻めようという計画を作ったのは、本多正信の子にして本多政重の兄「<a href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>」であったようです。<br />が、そもそもこんな言いがかり、誰の目にも強引な訳で、最初から「ムチャな言いがかりで相手を怒らせる」という考えもあったのかもしれません。<br /><br />これに対し豊臣家は、「<a title="片桐且元" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#katagiri" target="_blank">片桐且元</a>」と「<span style="color: #800080;">大蔵卿の局</span>」という２人の使者を派遣し、弁明を行います。<br />ところがこの２人に対し家康は、大蔵卿の局には「<span style="color: #800080;">ぜんぜん問題ないよ～ん</span>」と言い、片桐且元に対しては「<span style="color: #800000;">ぜってー許せねー！ 臣従するか、淀を人質に出すか、別の場所に引っ越すか、どれかを選べ！</span>」と返答。<br />そのため豊臣側は「大蔵卿の局」の報告を信用し、片桐且元に「徳川家康と結託しているのではないか」という<span style="color: #ff0000;">疑惑の目</span>を向けてしまいます。<br />結果、<span style="color: #800000;">片桐且元は命を狙われてしまい、豊臣家から脱出</span>。<br />そしてこの事を徳川家はさらに非難し、豊臣家は合戦が不可避であることを知って防戦体制を固め、徳川家康はついに<span style="color: #ff0000;">豊臣討伐を宣言</span>します。<br /><br /><a href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#katagiri" target="_blank">片桐且元</a>の件も徳川家康の術中にハマったと言えますが、片桐且元はその後に徳川家康の元に逃れ、大阪城攻めでも様々なアドバイスを行っています。<br />単にハメられたのなら家康の元に行くとは思えないため、これらが実際に家康の「謀略」だったのかは解りません。<br />いずれにせよ、豊臣家はもう<span style="color: #800080;">徳川側が「本気で合戦をする気になった」時点で、戦いは避けられない状況</span>だったと言えます。<br /><br />そして時代は、戦国の終幕「大坂 冬の陣・夏の陣」に向かうこととなります･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ ちょこっと解説</span></strong><br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・伊達政宗が徳川幕府に深く入り込んでいた</span></strong><br /><br />伊達政宗は徳川家康と仲が良かったことが知られていますが、<span style="color: #800080;">徳川秀忠とも非常に仲が良かった</span>ようです。<br />そのためか、徳川秀忠から徳川家の元の名字「松平」の姓まで送られています。<br />同時に東北地方を収める意味を持つ官職まで送られており、名実共に「奥州の統治者」として認められています。<br />ド派手なパフォーマンスで知られる伊達政宗ですが、交渉事に長けていた人だったのでしょうね。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・伊達政宗の「天下を奪う良い秘策」</span></strong><br /><br />徳川家との関係を深める一方で、伊達政宗は<span style="color: #800080;">最後まで野心を捨てなかった人物</span>としても知られています。<br />伊達政宗はちょうとこの時期、独自に<span style="color: #800080;">イスパニア（スペイン）と交渉</span>しており、その技術援助を受けて西洋の大型帆船「ガレオン級」の船を建造、支倉常長という人をヨーロッパに派遣しています。<br />船の建造は極秘裏に短期間に行われ、参考資料はほとんど焼却されたようで、結局イスパニアとの交渉は失敗に終わったのですが、「<span style="color: #800080;">伊達政宗が何を考え、何を交渉していたのか</span>」は謎のままとなっています。<br /><br />なお、徳川家康もオランダの船団に加わってやって来たイギリス人の航海士「<span style="color: #800080;">ウィリアム・アダムス（三浦按針）</span>」という人を参謀にしており、大型船を建造してアジア諸国やイスパニアに使者を出しています。<br />ただ、イギリス・オランダとイスパニアは当時激しく争っていた敵国であり、「オランダ経由で来たイギリス人」を参謀にしていた影響で、徳川幕府はイスパニアとはあまり交渉していませんでした。<br />イスパニアが「キリスト（カトリック）教国」だったことも影響していたようで、そこで伊達家はイスパニアとの親好を持とうとした、という事のようです。<br /><br />まあ、ドラマの伊達政宗の「天下を奪う秘策」というセリフが、そこまで考えてのものだったのかは解りませんけどね。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・毛利輝元の「もっと敢然と動いてれば」「大阪城を明け渡さなければ」</span></strong><br /><br />「関ヶ原の戦い」の回でも少し説明しましたが、毛利輝元は西軍の「総大将」でありながら、<span style="color: #800000;">関ヶ原の戦いで積極的に動いていませんでした</span>。<br />戦場には配下の「<span style="color: #800080;">毛利秀元</span>」を派遣して自身は大阪城にいたままでしたし、関ヶ原で西軍が敗れた報告を聞くと、大坂城を盾にして徹底抗戦を訴える毛利秀元や、九州から西軍のためにやってきた「<span style="color: #800080;">立花宗茂</span>」の説得も聞かず、さっさと大阪城を退去してしまいます。<br />これは家臣の「<span style="color: #800080;">吉川広家</span>」が徳川家康に通じており、彼が「毛利家の領地は補償する」という約束を取り付けていたからでしたが、その約束は無視され、毛利家は大幅に領地を減らされてしまいました。<br /><br />歴史に IF は付きもの･･･　今でも「あの時、あの人がああしていたら･･･」というのは良く語られます。<br />毛利輝元のシーンは、そんな IF を語ったシーンだったと言えますね。<br /><br /><br /><span style="color: #ff00ff;"><strong>○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">米沢で上杉家を運営</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">米沢や京都で政務</span>。<span style="color: #800000;">史実では本多家を通じて徳川家との関係を強化</span>）<br />　　　・志駄義秀（直江兼続の配下）<br />　　　・色部与三郎（直江兼続の配下）<br />　　　・直江景明（<span style="color: #008000;">竹松から改名。兼続の子。成長して兼続の配下に</span>）<br />　　・大国実頼（上杉家から退去。高野山で謹慎中）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いている</span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（上杉家の重臣になっている）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">景勝の子「玉丸」を養育中</span>）<br /><br />　　　　・お貞（直江兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名は不明）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（<span style="color: #000080;">久々に登場。すでに隠居している</span>）<br />　　　　・毛利秀元（セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br />　　　&times;<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">真田昌幸</span></a>（<span style="color: #ff0000;">1611年、高野山にて病死</span>）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　・長宗我部盛親（セリフなし。トラブルで領地を失い浪人）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（<span style="color: #000080;">家康の孫「千姫」を嫁にする。豊臣家の主君</span>）<br />　　　・淀（<span style="color: #000080;">徳川幕府に臣従しない姿勢を見せ、秀頼を天下の主と主張</span>）<br /><br />　　　　・千姫（<span style="color: #008000;">初登場、徳川秀忠の娘、家康の孫。豊臣秀頼に嫁ぐ</span>）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">隠居したが「大御所政治」を行って幕府に指示をしている</span>）<br />　　　　・徳川秀忠（<span style="color: #000080;">二代目の将軍に就任。でも実権は家康のまま</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（息子の本多政重が直江家を出奔するが、直江家との関係は続いている）<br />　　　　・<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>（<span style="color: #000080;">幕府内で政敵を葬りつつ、対豊臣の計画を練っている</span>）<br />　　　&times;<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">榊原康政</span></a>（<span style="color: #ff0000;">1606年、病死</span>）<br />　　　・遠山康光（<span style="color: #000080;">史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル</span>）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">徳川家の要請を飲むよう、淀を説得している</span>）<br />　　　&times;<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">加藤清正</span></a>（<span style="color: #ff0000;">淀を説得し家康と秀頼の会見を成功させるが、その後急死</span>）<br />　　　・黒田長政（筑前（福島）の大名になっている）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（<span style="color: #800000;">史実では江戸城を改築、豊臣家を包囲するよう城を造り、諜報活動も行う</span>）<br /><br />　　○その他の大名/人物<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">徳川家との親好を深めつつ、ガレオン船を作りイスパニアに使者派遣</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（<span style="color: #800000;">史実では直江政重が仕官してきている</span>）<br />　　　　・本多政重（<span style="color: #ff0000;">名を戻す。直江家を出て、前田家に仕官</span>）<br /><br />　　　・北政所（<span style="color: #000080;">徳川家の要請を飲むよう、淀を説得している</span>）<br /><br />さすがに10年経ったので、何人かは病死しています。<br />竹丸は「<span style="color: #800080;">直江景明</span>」に改名、また「<span style="color: #800080;">千姫</span>」が初登場しました。<br /><br />やや余談ですが･･･　「大坂の陣」が起こった経緯については、よく「徳川家康が天下統一したくて、豊臣家が邪魔だったから」の一言で済ませてしまう場合が多いです。<br />今回の天地人はまだ淀のシーンがあったのでマシでしたが、<span style="color: #ff0000;">「世界征服のため邪魔者は消した」の一言で終わってしまうような歴史本やら雑記やらは本当に多い</span>です。<br />実際には、幕府が出来て大阪の陣に至るまで10年以上も経っている訳ですから、長い交渉などがあった訳で、単に「邪魔だから潰した」というのは結果的にそうなったにせよ、話としては短絡的すぎで以前から気になっていました。<br /><br />結局は家康を含め、誰もが「豊臣家には存続して欲しい。ただし平和的かつ従属的に」と思っていたようです。<br />「大坂の陣」に至る経緯が単純なものではなかったことを知る機会になれば･･･　と思います。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十五回</span></strong><br /><br />・石川県 金沢市<br />・金沢城公園<br />・長町武家屋敷跡<br />・本多家屋敷跡<br />・松風閣庭園（旧本多家庭園、北陸放送会館内）<br />・大乘寺<br /><br />・<a title="天地人紀行 第四十五回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map45.html" target="_blank">天地人紀行 第四十五回</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script></p>]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十四回 「哀しみの花嫁」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1052435.html" />
<modified>2009-11-09T13:16:16Z</modified> 
<issued>2009-11-02T20:53:36+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1052435</id> 
<summary type="text/plain">直江兼続の娘達が退場する回。一方で直江家の養子となった「直江政重」がようやく登場となり、「関ヶ原」後の直江家の様子が描かれています。二代目の将軍となる「徳川秀忠」も登場し、話が「戦国時代の後」にさしかかって来たのが伺えますね。直江家の中の話がメインであっ...</summary> 
<dc:subject>第41回～第45回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1052435.html">
<![CDATA[<p>直江兼続の娘達が退場する回。<br />一方で直江家の養子となった「<span style="color: #000080;">直江政重</span>」がようやく登場となり、「関ヶ原」後の直江家の様子が描かれています。<br />二代目の将軍となる「<span style="color: #000080;">徳川秀忠</span>」も登場し、話が「戦国時代の後」にさしかかって来たのが伺えますね。<br /><br />直江家の中の話がメインであったため、歴史的な動きはほとんどありませんが、次回からは「大阪の陣」に話が移っていくようです。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1604年8月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「徳川幕府（江戸幕府）」が成立してから約１年後<br />・江戸では城下町の大開発が行われている<br />・幕府からの政令が次々と発表され、国作りが本格化している頃<br />・三代将軍となる「徳川家光」が誕生した頃</span><br /><br />戦国時代が終わろうとしている時期ですね。<br />幕府による政治が機能しはじめ、次々と新しい体制や政令が整えられています。<br />町や村の制度の改革や、主要街道の整備など、これまで後回しにされていた事柄も次々と進められていました。<br />一方で徳川幕府が成立し、さらに機能し始めている事で、<span style="color: #800080;">「豊臣家」の権威はますます低下し続けている状況</span>です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 初登場「本多政重」ってどんな人？</span></strong><br /><br /><a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>の娘「お松」と結婚した<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>の次男「<span style="color: #000080;">本多政重</span>」。<br />ドラマではやたら無愛想な人になっていました。　相変わらず人物表現が極端ですね･･･ ^^;<br />見た目がみんな似てるので、その方が解りやすくはあるけど。<br /><br />オープニングで語られていたように、本多政重は主君を次々と変えており、そのため「<span style="color: #800000;">本多正信の間者説</span>」も存在します。<br /><a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>の子「<span style="color: #000080;">徳川秀忠</span>」の乳母の子を斬るというトラブルを起こし、徳川家を出奔（退去）。<br />そして「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」で西軍として戦った、<span style="color: #000080;">大谷吉継</span>や<span style="color: #000080;">宇喜多秀家</span>などの武将に仕えています。<br />関ヶ原の戦いに西軍として参加していたのは、このためです。<br /><br />その後は<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>や<span style="color: #000080;">前田利長</span>（<a title="前田利家" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#tosiie" target="_blank">前田利家</a>の子）に仕えていますが、次々と士官先が見つかったのは、武勇に優れていると評判になっていたためのようです。<br />「<span style="color: #800080;">本多正信の次男</span>」なので、その点も影響したかもしれません。<br />でもドラマでは、「本多正信の間者説」が採用されているようですね。<br /><br />その後、直江兼続からの要請もあって、本多正信との協議の結果、<span style="color: #800080;">直江家に養子に入る事になります。<br /></span>当時は有力武将の次男・三男が、他の大名家や重臣の家に養子に出されるのは良くある事でした。<br />婚姻によって親戚関係となり関係を強化する狙いや、跡継ぎ争いの火種を事前に防止しておく、逆に跡継ぎ不在の家の存続のために養子に入る、などの理由があります。<br /><br />ドラマでは「<span style="color: #000080;">直江勝吉</span>」と改名していますが、普通この名前で呼ばれることは、ほとんどありません。<br />この辺りは、今後ドラマでも描かれることになると思います･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ さらに初登場「徳川秀忠」って？</span></strong><br /><br />徳川家康の子、そして<span style="color: #ff0000;">徳川幕府の二代目の将軍</span>です。 かなり有名な人ですね。<br />ただ、この人はあまり世間の評価は良くありません。<br /><br />「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」の際、３万８千に及ぶ軍勢を率いていながら、兵力 2500 の<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>のいる城（上田城）を攻め落とすことが出来ず、大損害を出した上に、上田城に固執しすぎて「関ヶ原の戦い」の本戦にも参加できませんでした。<br />これは<span style="color: #800080;">一歩間違えば、東軍の敗北に繋がっていた大失敗</span>です。<br /><br />さらに後の「大阪の陣」では、このことがトラウマになっていたのか、今度は<span style="color: #800080;">大阪まで超スピードで大爆走！<br /></span>着いた時には軍勢はクタクタで、まともに戦える状態ではなくなっており、またもや家康から大目玉を食らっています。<br /><br />政治的にも「徳川家康」という存在があまりに大きかったため、その影に隠れていて、家康が存命中の間は目立った事が出来ませんでした。<br />ただ誠実な人柄で、<span style="color: #800080;">「家康の影で二代目の将軍に就任する」という役割においては非常に向いていた人だった</span>とも言われており、初期の徳川幕府の運営を軌道に乗せた人物と言えます。<br /><br />父が偉大すぎるとどうしても比べられてしまうため、武田勝頼や北条氏政と同じで、やや損な役回りになっていたことは否めませんね。<br />まあこの人が「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」の総大将をやってたら、非常に危なかった気もするけど。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「お松」があっさり死んでたけど、本多家との縁組みはどうなったの？</span></strong><br /><br />直江兼続の子はみんな体が弱かったのか、長男の竹丸が病弱で、次女の「お梅」も幼くして病死してしまい、そして本多政重と結婚した<span style="color: #ff0000;">「お松」もその翌年に病死</span>してしまいます。<br /><br />ただ、直江家と本多家の縁組みは政略的な意味合いも強かったため、それで解消されてしまうことはありませんでした。<br />本多政重（直江勝吉）は<span style="color: #800080;">妻不在の状態で、そのまま直江家で暮らすことになります</span>。<br /><br />お松はドラマでは「流行り病」で病死したことになっていましたが、記録がほとんどないようなので、実際にどういう理由で死んだのかは不明です。<br />当時はまだ医学が発達していませんでしたから、風邪などの流行り病で死ぬ人は多かったのですが、時期的に妊娠に関わる病気で死んだ可能性もあります。<br /><span style="color: #ff00ff;"><strong><br /><br />○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">長男が産まれ、直江家で養育中</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">本多正信の子「本多政重」と娘が結婚する</span>）<br />　　　・志駄義秀（上杉家で政務中）<br />　　　・色部与三郎（直江兼続の配下）<br />　　　・直江勝吉（<span style="color: #008000;">初登場、本多正信の次男「本多政重」が直江家に入り改名</span>）<br />　　・大国実頼（上杉家から退去。高野山で謹慎中）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いている</span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（上杉家の重臣になっている）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">娘に死なれてショック。景勝の子「玉丸」を養育中</span>）<br />　　　　・竹松（<span style="color: #000080;">病弱。本多政重（直江勝吉）が兄となる</span>）<br />　　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">お松</span>（<span style="color: #ff0000;">本多政重と結婚するが、翌年に病死</span>）<br />　　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">お梅</span>（<span style="color: #ff0000;">あっさり病死。史実での名は不明</span>）<br /><br />　　　　・玉丸（上杉景勝と側室の子。直江兼続とお船が養育中）<br /><br />　　　　・お貞（直江兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名は不明）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（大幅減俸され一大名となっている）<br />　　　　・毛利秀元（セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　・長宗我部盛親（セリフなし。トラブルで領地を失い浪人に）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少）<br />　　　・淀（石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">幕府政治を進めている。息子への将軍職継承を準備</span>）<br />　　　　・徳川秀忠（<span style="color: #008000;">初登場、二代目の将軍になるように言われている</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #000080;">息子の「本多政重」を直江家の養子にした</span>）<br />　　　　・<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a>（<span style="color: #008000;">本多正信の子で父と共に参謀になっている</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（<span style="color: #000080;">史実では隠居。</span><span style="color: #000080;">ドラマでは徳川家の重臣の一人</span>）<br />　　　・遠山康光（<span style="color: #000080;">史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル</span>）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（豊臣家を守りたい。家康の動向が気になっている）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（豊臣家と徳川家の取り次ぎを行う。福島正則を止める）<br />　　　・黒田長政（筑前（福島）の大名になっている）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（伊予（愛媛）の大名になっている）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">ドラマでは直江兼続に会いに行ってた</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（加賀の大大名となっている）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />本多政重と徳川秀忠が初登場。 また、追加し忘れていた本多正純を追加。<br />一方で直江兼続の２人の娘はどちらも退場です。<br />予告によると、次回は一気に「大阪の陣」になるようです。<br />でも大阪の陣って 1614 年の出来事。 今が 1604 年なんだから、一気に 10 年分もすっ飛ばすんでしょうか！？<br />ただ、この 10 年の間はすでに戦国時代とは言えない頃だし、１回分でもいいかもしれませんね･･･　残り３回しかないし。<br /><br />ドラマでは直江兼続と伊達政宗が米沢で会っていましたが、こういう話（もしくはモデルとなった話）があったのかどうかは、ちょっと不明です。<br />（少なくとも私は聞いたことがありません）<br />たぶんドラマの創作じゃないかなと思います。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十四回</span></strong><br /><br />・山形県 長井市/南陽市<br />・朝日軍道<br />・金剛峯寺<br />・總宮神社<br />・熊野大社<br /><br />・<a title="天地人紀行 第四十四回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map44.html" target="_blank">天地人紀行 第四十四回</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十三回 「実頼追放」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1041212.html" />
<modified>2009-10-31T08:09:27Z</modified> 
<issued>2009-10-26T21:14:32+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1041212</id> 
<summary type="text/plain">直江兼続の弟「大国実頼」の上杉家追放が描かれる回。直江家にとっての大事件ですね。 今回で実頼も退場でしょうか？ただ、先に言っておきますが、史実の大国実頼の事件と、ドラマで描かれた内容は、大きく異なっていますので注意して下さい。ドラマのものはかなりアレンジさ...</summary> 
<dc:subject>第41回～第45回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1041212.html">
<![CDATA[<p>直江兼続の弟<span style="color: #800080;">「大国実頼」の上杉家追放</span>が描かれる回。<br />直江家にとっての大事件ですね。 今回で実頼も退場でしょうか？<br />ただ、先に言っておきますが、<span style="color: #ff0000;">史実の大国実頼の事件と、ドラマで描かれた内容は、大きく異なっていますので注意して下さい。<br /></span>ドラマのものはかなりアレンジされています。<br /><br />本多正信と直江兼続の交渉が進み、上杉家が徳川家へ接近。<br />この<span style="color: #800000;">上杉家の「方針転換」に関する各人物の苦悩</span>が表現された回と言えますね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 景勝の側室が「玉丸」を生んだって言ってたけど･･･　そもそも側室って誰？</span></strong><br /><br />主要人物である<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>の側室について、名前も出てこないというのは･･･<br />ストーリー上、「側室」というものをあまり表に出したくなかったのでしょうか？<br />まあ、すぐに死んでしまったので、人物像を描けるようなエピソードがある人ではありませんが･･･<br /><br />上杉景勝の側室は「<span style="color: #800080;">桂岩院</span>」と言う名前だったようで、「四辻家」や「室町家」と呼ばれる<span style="color: #800080;">偉いお公家さまの家柄の女性</span>でした。<br />しかし景勝の子を産んだ後の産後の体調が良くなく、改善しないままわずか<span style="color: #ff0000;">三ヶ月後に亡くなってしまいました</span>。<br /><br />そのため、その子は直江兼続の妻「お船」が直江家で養育することになります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 本多正信について改めて</span></strong><br /><br /><a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>が養子縁組して頼ろうとしている「<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>」。<br />この人に関しては以前も一度ご紹介しましたが、改めてここで詳しく説明しておきましょう。<br /><br />本多正信は「家康のブレイン」とも呼ばれる<span style="color: #ff0000;">徳川家の「参謀」</span>です。<br />しかし若い頃の経歴は今ひとつ定かではありません。<br />もともと<a title="徳川家" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawa.htm" target="_blank">徳川家</a>の家臣だったのですが、徳川家康が当時の本拠地の三河（愛知県東部）で「<a title="一向一揆" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/honganzi.htm" target="_blank">一向一揆</a>」（一向宗という宗教の信者による一揆）を起こされた際に、一向宗を信仰していたため徳川家を退去して、一向一揆側として戦っています。<br /><br />そのため、その後は一向宗の総本山である「<a title="本願寺" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/honganzi.htm" target="_blank">本願寺</a>」に所属したり、戦国の謀将として名高い「松永久秀」の配下になっていたりしたといいますが･･･　この頃の詳細は不明です。<br />近年は「<a title="松永久秀" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#hisahide" target="_blank">松永久秀</a>」の元にいたというのが有力視されているようで、松永久秀からも一目置かれていたようです。<br /><br />その後、いつの頃からか徳川家に復帰しますが、復帰した時期は明確ではありません。<br />ともかく復帰後の本多正信は「鷹匠」（鷹狩りをする際の鷹を飼育する係）を歴て徳川家康の参謀となり、様々な助言を行っていました。<br /><br />ただ、<span style="color: #800000;">その発言は容赦のないものが多かったようで、家臣や同僚の処罰も平気で行い、他の徳川家の家臣からも恨まれていたようです</span>。<br />同族の<a title="本多重次" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondasige" target="_blank">本多重次</a>や<a title="本多忠勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondatada" target="_blank">本多忠勝</a>からも「同じ本多だけどあいつとは関係ない！」と言われており、かなり嫌われていたことが解ります。<br />しかし<span style="color: #800080;">徳川家康は本多正信を「友」と呼び、常に信頼していた</span>ため、自ら徳川家の汚れ役になっていたのではないかと言われています。<br />また、「<span style="color: #800080;">出世して大身になった者は、妬まれる元になるので、俸禄を多く貰ってはいけない</span>」と言い、少ない給料で、常に質素な生活をしていたと言います。<br /><br />こうした人物像から、多くのドラマや小説では、家康の側で非道な謀略を進言する「悪役的な軍師」「ネガティブな参謀」として描かれるケースが多いです。<br /><br />ただ、「天地人」では直江兼続が頼った人物であるため、単なる悪役にはなっていない、他の歴史ドラマとはちょっと違う扱いとなっていますね。<br /><br />人物：<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 本多正信の長男「本多正純」って？</span></strong><br /><br /><span style="color: #ff0000;">本多正信の長男</span>ですが、彼は直江兼続の娘「お松」と結婚する人物では<span style="color: #ff0000;">ありません</span>。<br />兼続の娘との婚姻が予定されているのは本多正信の次男「<span style="color: #800080;">本多政重</span>」で、ドラマではちょっと解りにくかったのでご注意を。<br /><br /><span style="color: #800080;">本多正純</span>は父の本多正信と共に、家康の参謀として活躍した人物です。<br />ただ、本多正信にも増して「<span style="color: #800000;">ダーティーな謀略家</span>」というイメージがあり、徳川幕府の初期に多くの政敵と対立、さらに<span style="color: #800080;">あの手この手で政敵を葬って徳川幕府の中で本多親子の権力を確立していった人</span>です。<br /><br />さらに、「妬みを買うから多くの領地を貰ってはならない」という父・本多正信の遺言を無視し、<span style="color: #800000;">多くの領地と権力を貰って裕福な生活をしていた大政治家</span>でした。<br /><br />しかし父の死後、次第に政敵「<a title="土井利勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#doi" target="_blank">土井利勝</a>」との政治闘争に押され気味になり、敵も多かった本多正純はついに「宇都宮城 釣天井事件」（自分の城に将軍暗殺のための罠を仕掛けた）という<span style="color: #800000;">「将軍暗殺」の疑惑をかけられ、失脚</span>してしまいます。<br /><br />政治家に色々なタイプがいるのは、いつの世も変わりませんね。<br /><br />人物：<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川家の家臣「榊原康政」って誰だっけ？</span></strong><br /><br />すでに何度か登場しているため初登場という訳ではありませんが、今回初めてまともなセリフがあり、人物名のテロップも表示されました。<br /><br /><span style="color: #800080;">「徳川四天王」と呼ばれる徳川家の主力武将の一人</span>で、旗に「無」の一文字を掲げて戦った武将です。<br /><br />ただ、<span style="color: #ff0000;">ドラマで描かれた榊原康政と、史実の榊原康政は、全く違います</span>。<br />榊原康政は「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」の後、上杉家が徳川家に謝罪する際の取り次ぎを頼まれており、上杉家の存続について口添えをしています。<br />そのため、今回のように「上杉家を滅ぼすための謀略」を口にするようなことは史実に反しています。<br /><br />加えて、榊原康政は本多正信と対立関係にあり、この争いが徳川家の火種になる事を恐れ、「老臣が権力を争うのは亡国の兆し」と言い、<span style="color: #800000;">幕府が設立された頃に重臣の立場から身を引いています</span>。<br />よって、あの場に本多正信と一緒にいることもおかしいです。<br /><br />とは言え、あくまで天地人は「ドラマ」ですから、この辺はアレンジがあっても悪くはないでしょう。<br /><span style="color: #ff0000;">ただし見ている側が、史実とごっちゃにしないよう気を付ける必要はありますね</span>。<br /><br />人物：<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 大国実頼が「高野山へ追放」されてたけど、高野山って流刑地？</span></strong><br /><br />仏教の聖地「<span style="color: #800080;">高野山</span>」。<br />そこに行くと言うことは「僧侶になって俗世から身を引く」という意味があり、そのため<span style="color: #800080;">戦国時代には流刑地の変わりのように使われていました</span>。<br />よって多くの武将が何かの処罰で「高野山で謹慎」というものを受けています。<br /><br />ただ、高野山から戻ってきて再び武士や大名になった人も多く、<span style="color: #800080;">刑罰としては重罪であるけど、処分としてはやや軽め</span>、と言う形で使われていたようです。<br />ある意味、「厚生施設」や「刑務所」の代わりでもあったのかもしれません。<br /><br />なお、上杉謙信は一度 戦国大名を嫌になり、全部捨てて高野山に行って出家しようとしました。<br />そのため上杉家は大騒ぎ！　家臣が「もう逆らいません」みたいな書状を書いて、懸命の説得をして連れ戻したという事があります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 大国実頼が追放された事件、本当のところは？</span></strong><br /><br /><span style="color: #ff0000;">ドラマの「大国実頼」が追放された事件と、史実のこの事件は、まったく展開が異なります。<br /></span>ドラマのものはかなりオブラートに包んだ形になっていました。<br /><br />大国実頼は、直江兼続が本多正信の子を直江家の養子にする事に、当初から反対していたようです。<br />しかし直江兼続は聞かず、本多正信の子との縁談を進めます。<br />ここまではドラマでも描かれていた通りです。<br /><br />そしてこの後、直江兼続は本多正信の次男「本多政重」を迎えるために、京都に使者を派遣します。<br />ところが大国実頼は、<span style="color: #ff0000;">この縁談を実力で止めようと、なんとこの使者を斬殺するという暴挙に出ます！<br /></span>そして自ら高野山に逃走し、そのまま直江兼続の元には戻りませんでした。<br /><br />結局、この事件があっても直江家と本多家の縁組みは行われ、大国実頼は上杉家に戻らなかったため、<span style="color: #800080;">そのまま追放された形</span>となります。<br /><br />ドラマでは、さすがに「兼続の使者を襲って斬る」というのは過激すぎると判断されたのか、単に本多正信の面前で縁談を断る、という形にされていました。<br />また、実際には大国実頼が自ら高野山へ逃れたようですが、ドラマでは「高野山への追放」という処罰が下された形になっていました。<br /><br />いずれにせよ、大国実頼は無理やり止めようとするほど、この縁談には反対だったようです。<br />どういう事情でそうなったのか正確なところは解りませんが、ドラマで語られていたように、最後まで徳川家に反発していたのかもしれません。<br /><span style="color: #ff00ff;"><strong><br /><br />○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">長男が産まれた。側室は産後に病死</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">本多正信の次男との縁談を進めるが、弟に反対される</span>）<br />　　　・志駄義秀（上杉家で政務中）<br />　　　・色部与三郎（直江兼続の配下）<br />　　△大国実頼（<span style="color: #ff0000;">直江家と本多家の縁組みを止めようとして失敗、高野山へ</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣、現在は兼続の配下</span>）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（<span style="color: #000080;">ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いている</span></span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣になっている</span>）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣、現在は兼続の配下</span>）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">上杉景勝の子を養育する事になる</span>）<br />　　　　・竹松（病弱。ドラマでは直江家を継げない事がショックだった）<br />　　　　・お松（<span style="color: #000080;">本多正信の子との縁組みが進められている</span>）<br />　　　　・お梅（史実での名は不明）<br /><br />　　　　・玉丸（<span style="color: #008000;">初登場。上杉景勝と側室の子。直江兼続とお船が養育中</span>）<br /><br />　　　　・お貞（直江兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名は不明）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（大幅減俸され一大名となっている）<br />　　　　・毛利秀元（セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（<span style="color: #000080;">高野山に蟄居中。ドラマでは大国実頼と会ってた</span>）<br />　　　・長宗我部盛親（セリフなし。トラブルで領地を失い浪人に）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少）<br />　　　・淀（石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">幕府を開いて、幕府政治の基盤を作っている最中</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #000080;">直江兼続から打診された養子縁組を進めている</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（<span style="color: #800000;">史実では隠居。</span><span style="color: #000080;">ドラマでは兼続に弟の処分を要請</span>）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">豊臣家を守りたい。家康の動向が気になっている</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（豊臣家と徳川家の取り次ぎを行う。福島正則を止める）<br />　　　・黒田長政（筑前（福島）の大名になっている）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（伊予（愛媛）の大名になっている）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #800000;">仙台で政務を行っている</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（加賀（金沢）120万石の大大名となっている）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />オープニングのテロップに「市川景清」の名がありましたが、これは天地人のドラマで創作された人物のようなので、リストには載せていません。<br />今回、榊原康政が直江兼続に弟の処分を強要していましたが、あれは天地人のドラマ展開を考えると、遠山康光の役割だった気がするのですが･･･<br />遠山康光について視聴者から何か言われたりしたんでしょうか？<br />でもあの役どころは正直、榊原康政がするべきものじゃないよなぁ。<br />時間が経ち、徐々に徳川周辺の登場人物も減ってきて、寂しくなってきましたね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十三回</span></strong><br /><br />・和歌山県 高野町<br />・高野山<br />・金剛峯寺<br />・清浄心寺<br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br /><span style="color: #800000;">※今回は高野山と、荒野山の中の施設だけだったので、全名所マップのみ更新しています。</span></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十二回 「将軍誕生」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1030332.html" />
<modified>2009-11-13T20:05:36Z</modified> 
<issued>2009-10-20T03:41:54+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1030332</id> 
<summary type="text/plain">　徳川幕府が設立された回。 題名もそれを示していますが･･･それほど徳川幕府の誕生には触れられていませんでしたね。上杉景勝の妻である「お菊」が亡くなる回であり、ストーリー的にもそちらの方がメインとなっていました。物語の終盤らしく、毎回１人ずつ主要人物が退場し...</summary> 
<dc:subject>第41回～第45回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1030332.html">
<![CDATA[<p><span style="color: #ff0000;">　<br />徳川幕府が設立された回。</span> 題名もそれを示していますが･･･<br />それほど徳川幕府の誕生には触れられていませんでしたね。<br />上杉景勝の妻である<span style="color: #ff0000;">「お菊」が亡くなる回</span>であり、ストーリー的にもそちらの方がメインとなっていました。<br />物語の終盤らしく、毎回１人ずつ主要人物が退場している形です。<br /><br /><span style="color: #800000;">※先週末から月曜にかけて出張していたため、月曜日中に更新できませんでした。<br />　申し訳ありません&lt;(_ _)&gt;</span><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1602年10月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」の約２年後<br />・上杉家の本拠地が米沢に移転してから１年後<br />・徳川家は幕府設立のための準備を進めている<br />・他の大名家も領地の削減・増加・移転などの影響で忙しい</span><br /><br />「関ヶ原の戦い」の後の体制が固まりつつある状況です。<br />徳川家は朝廷工作（天皇家に対する交渉など）を進めており、新体制の構築を始めています。<br />また、江戸の町の大規模な開発を実行中で、忙しくしていました。<br />他の大名家も、領地が増えたり、減ったり、移転したりしたため、その開発や運営でまだ忙しい時期です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江兼続が言ってた「つつみ」ってなに？</span></strong><br /><br />「つつみ」とは「堤」と書きます。 <span style="color: #0000ff;">川に作る「堤防」のこと</span>ですね。<br />当時は今のような堤防が築かれていませんでしたから、大雨が降ると川が氾濫して「洪水」が起こるのは良くあることでした。<br />しかしこれでは農作物の収穫は安定しません。<br />でも米を初めとする農作物の多くは水を必要としますから、川の近くに作らなければなりません。<br /><br /><span style="color: #800080;">そのため合戦に備えて兵糧を蓄える必要があった戦国時代には、各地で治水作業が急速に行われました。<br /></span>特に有名なものとしては、甲斐（山梨県）に<a title="武田信玄" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#takedasingen" target="_blank">武田信玄</a>が築いた「信玄堤」があります。<br /><br />治水作業が行われる際には「堤」を作るだけでなく、農業用水路の作成なども行われ、水害を防ぐことによって新たに開拓できる場所を広げることも出来たので、生産力の向上に大きく寄与しました。<br /><br /><a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>が米沢に築いたものは「<span style="color: #ff0000;">直江石堤</span>」と呼ばれ、当時としては珍しい、<span style="color: #ff0000;">石垣で作られた堅固な堤防</span>でした。<br />当時、米沢を流れる最上川はたびたび洪水を起こしていて、その水害が米沢の城下町まで及ぶことがあったため、直江兼続自らが指揮を採り、かなりの人員を集めて急ピッチで完成させたものだったようです。<br /><br />あまり知られていませんが、上杉家は秀吉に命じられた「伏見城」の築城の際や、関ヶ原の戦いの前に作った「神指城」の築城の際にも、石垣や掘、船着き場などを石積みの技術を使って短期間で完成させています。<br />上杉景勝の時代の<span style="color: #800080;">上杉家はこうした石垣を作る作業に長けていた</span>ようで、直江兼続が石積みで築いた「直江石堤」も、この技術が応用されていたようですね。<br /><br />また、テレビでは紹介されていませんでしたが、直江兼続は最上川の上流に小型のダムを築いて流れを分け、その水を用水路として農地や町に流し、さらに水路や掘としても利用しています。<br /><br />やはり「治水」は開発に非常に重要だった訳ですが、現代のダム建設とかと違うのは、これらがすべて短期間の速急な工事で行われたことでしょうか。<br /><span style="color: #800080;">戦国時代は、いつ敵が来るか解らない時代でしたからね</span>。<br />ちなみに昼夜を問わず作業をする場合には、夜勤組に酒が振る舞われたりしていたそうです。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川幕府が開かれたけど、豊臣家ってまだあるの？</span></strong><br /><br />よく「<span style="color: #800000;">豊臣家を倒して徳川家康が幕府を開いた</span>」と言われますが、正確には豊臣家は「関ヶ原の戦い」の後も縮小はされましたが存続していて、<span style="color: #ff0000;">豊臣家が残っているまま徳川家康は江戸（東京）に「幕府」を開きました。<br /></span><br />幕府とは「<span style="color: #800080;">武士による政府</span>」であり、「幕」とはもともと合戦の本陣を意味します。<br />日本の頂点に位置するのは「天皇」であり、天皇を中心とする政治機関が「<span style="color: #800080;">朝廷</span>」なのですが、朝廷に力がなくなってからは、力のある武士が朝廷からの任命を受けて政治を行うようになりました。<br />これが「<span style="color: #800080;">幕府</span>」です。<br /><br />徳川家康は 1603 年、朝廷から武士として最上の役職である「<span style="color: #800080;">征夷大将軍</span>」を与えられて、日本の政治機関となる幕府、俗に言う「<span style="color: #ff0000;">徳川幕府（江戸幕府）</span>」を開きます。<br />これにより、時代は「江戸時代」になる事となります。<br />「征夷大将軍」という役職（官職）は当時、「幕府の頂点にいる人が就任するもの」という暗黙のルールみたいなものがあって、そのため<span style="color: #800080;">征夷大将軍を朝廷から与えられた時点で、徳川家康は「幕府を開く権利を得た」という事になります</span>。<br /><br />もちろんドラマでも語られていたように、徳川家康は「関ヶ原の戦い」の時に「豊臣家のため」という名目を持って戦っていましたから、豊臣派の武士には反発する者もいました。<br />しかし実際には「<span style="color: #800080;">徳川家康が勝ったら時代は徳川家のものになる</span>」という事はみんな解っていましたし、勝った家康が幕府を開くのは自然な流れではあるので、そこで今さら文句を言う人はほとんどいなかったのも実情です。<br />「朝鮮出兵」から「関ヶ原の戦い」までを歴て、大名や武士は疲弊が続いていたため、「ここでまた戦乱に戻るのはご免だ」という考えもあったようです。<br />豊臣派の武士の多くは、合戦と政略により「徳川の時代」が作られていく中で、「<span style="color: #800080;">何とか少しでも良い形で豊臣家を残していこう</span>」、という考えに変わっていきました。<br /><br />ただ一人だけ、「天下は豊臣家のものであり、その主は豊臣秀頼である」という考えを崩さない人物がいました。<br />豊臣秀吉の側室にして、豊臣秀頼の母、「<span style="color: #ff0000;">淀</span>」です。<br /><br />そして時代はまた、新たな争乱へと向かっていくことになります･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 淀と秀頼の前で、石原良純と言い争ってたのって誰？</span></strong><br /><br />家康が幕府を開いた話を聞いて、淀＆豊臣秀頼の前で言い争っていたのは、一人は石原良純さんこと「<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>」ですが、もう一人は「<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>」です。<br />加藤清正に長めのセリフがあったのは今回が初めてですが、人名のテロップが出なかったので、「誰だコレ？」となった人は（歴史に詳しくない方だと）多いはず。<br />関ヶ原の本戦にはいなかったですしね。<br /><br />「加藤清正」は「福島正則」の同僚であり戦友ですが、<span style="color: #800080;">立場的には徳川家と豊臣家の中間</span>で、両者の間を取り持とうとしていました。<br /><br />「福島正則」は関ヶ原以後、徳川家康に忠実に従っていましたが、豊臣家への忠誠心も高かったため、<span style="color: #800080;">両者から警戒される微妙な存在</span>となってしまいます。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ ちょこっと解説</span></strong><br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・伊達政宗のあの黒と金の奇抜な衣装はなに？</span></strong><br /><br />あまりにハデ過ぎて、カッコイイというより奇抜だった<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>の衣装。<br />あれは仙台市の博物館に所蔵されている「山形文様陣羽織」という、<span style="color: #800080;">伊達政宗が実際に着ていたと言われる衣装を元にしたもの</span>のようです。<br />正式名は「黒羅紗地裾緋羅紗地山形模様陣羽織」とかいうようですが、名前が複雑＆長すぎ。<br />ドラマのものは、現在はなくなっている「襟」の部分も再現されていました。<br />伊達政宗は朝鮮出兵の頃からこの「<span style="color: #800080;">黒地に金</span>」の模様を使っていたようで、ハデ好きだった政宗らしい色使いと言えます。<br />本物は裾の部分が赤色（緋色）になっていますが、そこは見えていませんでしたね。<br /><span style="color: #ff00ff;"><strong><br /><br />○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">側室を招いた</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">町の開発、治水作業など政務に追われている</span>）<br />　　　・志駄義秀（<span style="color: #800000;">史実では謹慎を解かれ、上杉家で再活動中</span>）<br />　　　・色部与三郎（<span style="color: #008000;">直江兼続の妹を嫁にし、兼続の配下に編入</span>）<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">京都と米沢で政務中</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いている</span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（上杉家の重臣になっている）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（上杉家の重臣、現在は兼続の配下）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">菊姫の病死に伴い米沢に戻る</span>）<br />　　　　・竹松（<span style="color: #000080;">病弱。ドラマでは直江家を継げない事がショック</span>）<br />　　　　・お松（<span style="color: #000080;">急に成長してた</span>）<br />　　　　・お梅（<span style="color: #000080;">急に成長してた。史実での名は不明</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">菊姫</span>（<span style="color: #ff0000;">上杉景勝の妻、病死</span>）<br /><br />　　　　・お貞（<span style="color: #000080;">直江兼続の妹、色部与三郎の妻。史実での名は不明</span>）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（大幅減俸され一大名となっている）<br />　　　　・毛利秀元（セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　・長宗我部盛親（セリフなし。トラブルで領地を失い浪人に）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（<span style="color: #000080;">豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少</span>）<br />　　　・淀（<span style="color: #000080;">石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう</span>）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開く</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #000080;">直江兼続から養子縁組の打診を受けている</span>）<br />　　　&times;<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">井伊直政</span></a>（<span style="color: #ff0000;">戦傷が癒えないまま政務を続け、過労で倒れ病死</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（上杉家からの交渉の取り次ぎなどを頼まれている）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している。<span style="color: #000080;">ドラマでは兼続のライバル</span>）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">豊臣家を守りたい。家康の動向が気になっている</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #000080;">豊臣家と徳川家の取り次ぎを行う。福島正則を止める</span>）<br />　　　・黒田長政（筑前（福島）の大名になっている）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（伊予（愛媛）の大名になっている）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #800080;">ヒゲキャラになった</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（加賀（金沢）120万石の大大名となっている）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />今回から直江兼続の子供達もリストに追記しています。<br />あと、前回「<span style="color: #800080;">色部与三郎</span>」を追加し忘れていたため、追記しています。<br /><br />現在は「関ヶ原敗戦後の上杉家」が描かれている訳ですが、思ったほど上杉家の復興や米沢の開発に関するシーンは描かれていませんね･･･<br />今回「天地人紀行」に出てきた「直江石堤」は、直江兼続が米沢で行った事業としてはかなり大きなものなのですが、まさか天地人紀行のメインから外れているとは思いませんでした。<br />ドラマでもそれに関するシーンはセリフだけでしたが･･･　やはり、大がかりな土木作業のシーンを描くのは大変なので、カットされたんでしょうか･･･？<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十二回</span></strong><br /><br />・山形県 米沢市<br />・芳泉町 武家屋敷<br />・直江石堤（谷地河原堤防）<br /><br />・<a title="天地人紀行　第四十二回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map42.html" target="_blank">天地人紀行 第四十二回 名所マップ</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十一回 「上杉の生きる道」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1017490.html" />
<modified>2009-10-18T08:57:59Z</modified> 
<issued>2009-10-12T14:55:47+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1017490</id> 
<summary type="text/plain">今回から上杉家が、言わば「会津上杉家」から「米沢上杉家」に変わります。上杉家が急にビンボーになった様子が描かれた回ですね。関ヶ原が終わって大阪の陣に向かっていく、その合間の回なので、歴史的な動きはありませんが、上杉家の窮状が（ちょっと大げさに）描かれてい...</summary> 
<dc:subject>第41回～第45回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1017490.html">
<![CDATA[<p>今回から上杉家が、言わば「<span style="color: #800080;">会津上杉家</span>」から「<span style="color: #800080;">米沢上杉家</span>」に変わります。<br />上杉家が急にビンボーになった様子が描かれた回ですね。<br />関ヶ原が終わって大阪の陣に向かっていく、その合間の回なので、歴史的な動きはありませんが、上杉家の窮状が（ちょっと大げさに）描かれていました。<br />ここから上杉家が持ち直していく様子が、今後のドラマのテーマになるのでしょう。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1601年10月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」があった翌年<br />・上杉家が会津120万石から米沢30万石への領地削減（減封）を申し渡されてから２ヶ月後<br />・上杉家が米沢に移転した月<br />・つまり前回の終了直後</span><br /><br />前回の終了直後からですね。 上杉家がその本拠地を米沢に移してすぐの頃です。<br />上杉家だけでなく、多くの大名家で「関ヶ原の戦い」の戦後処理により領地の増加や減少、移転が起きていますから、どの大名家もその対応で忙しかった頃です。<br />徳川家も戦後処理や新体制の構築で忙しくしていましたから、この時期は大きな事件は特に起こっていません。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 上杉家がド田舎に移転させられてたけど、そんな寂れたところだったの？</span></strong><br /><br />ドラマでは、米沢の城下町が凄く寂れた感じに描かれていましたが･･･<br />実際は、そんなに寂れていた訳ではありません。<br />ドラマでは上杉家の状況を大げさに表現していたみたいですね。<br /><br />米沢は「<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>」の誕生の地でもあり、長く伊達家の本拠地となっていました。<br />その後、伊達政宗の抑え役として「<span style="color: #800080;">蒲生氏郷</span>」が赴任。<br />蒲生氏郷の後は上杉家に与えられ「<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>」の領地となっていましたから、これらの名将が本拠地としていた城下町がそんなに寂れていたはずがありません。<br />そもそも 30 万石というのは、会津時代の上杉家に比べると少ないですが、<span style="color: #800080;">相応に大きな石高</span>です。<br /><br />直江兼続が統治していた場所だったのですから、そこについて家臣が「こんな場所で冬を越せるかのう？」なんて言うと、本当なら兼続が怒りそうですね。^^;<br />まあこの辺は、シナリオ上の脚色だと思いましょう。<br /><br />なお、上杉謙信の亡骸が越後から移されて、城の一室に安置されていましたが、これは史実に沿っています。<br />ただ、謙信の亡骸の移送は数年後に城の改修をした時に行われたという説と、すでに会津に移されていたのでそれを米沢に運んだという説があって、実際に移送された時期や経緯については諸説あります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江兼続が家臣に百姓をしろって言ってたけど？</span></strong><br /><br />上杉家は有力家臣のほとんどを引き連れた状態で、石高（収入）が 1/4 になりました。<br />当然、<span style="color: #ff0000;">財政は困窮</span>します。<br /><br />直江兼続は米沢の城下町に家臣を住まわせた訳ですが、家臣の給料は当然大幅に削減されます。<br />そこで、これにより生活が苦しくなると思われた下級の武士は郊外に住まわせ、付属の土地も与え、その土地の開墾を行わせることにしています。<br /><span style="color: #800080;">農業を行わせて自給自足の生活が出来るようにさせつつ、農地も広げようとした訳ですね。</span><br />耕した土地はそのまま自分の土地となり、年貢も半分にされたようなので、耕す側にとっても決して悪い話ではなかったようです。<br /><br />こうした農業を行った「半士半農」の武士は「<span style="color: #800080;">原方衆</span>」と呼ばれ、臨時のとき以外は農業に専念すれば良いとされていました。<br />ただ、身分としては武士のものが補償されていたようです。<br /><br />この制度は、後に上杉家が財政の立て直しを図る際に、何度も模倣されることになります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 兼続パパの娘婿になってた色部与三郎って？</span></strong><br /><br />登場シーンがマヌケっぷり全開だった色部与三郎。<br />一般には「<span style="color: #800080;">色部光長</span>」と呼ばれている武将です。<br /><br />色部光長はあまり知られていない武将ですが、「<span style="color: #ff0000;">色部家</span>」は上杉家にとって重臣の家柄です。<br />「色部家」はもともと越後の国人（有力者）の一人で、「揚北衆」と呼ばれた勢力の一部「色部衆」を率いる家柄でした。<br />彼の祖父「<a title="色部勝長" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#irobe" target="_blank">色部勝長</a>」は上杉謙信と武田信玄が戦った「第四回・川中島の戦い」で奮戦し、上杉謙信から「血染めの感状」を貰った武勇に優れた武将です。<br />彼の父「<a title="色部長実" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#irobeMAGO" target="_blank">色部長真</a>」、父の兄の「<a title="色部顕長" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#irobeJR" target="_blank">色部顕長</a>」も、上杉家を支えた重臣でした。<br /><br />色部与三郎こと色部光長は、兼続パパ（樋口惣右衛門、樋口兼豊）の娘（つまり直江兼続の妹）を嫁にして、直江兼続の配下となっています。<br />これは「色部衆」や「色部家」が兼続の配下になった事も意味し、編成の上でも重要だったようです。<br /><br />ドラマでは結婚した娘の名は「おてい（お貞）」と呼ばれていましたが･･･<br />実際の名は（新しい資料が見つかったとかでない限り）不明です。<br /><br />しかし婚姻の祝いの席で酒が水とか、漬け物が３つとかは、上杉家が困窮しているにしてもさすがにやり過ぎな気が･･･（それとも元ネタがあるんだろうか？）<br /><span style="color: #ff00ff;"><br /><br /><strong>○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></strong></span>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">米沢30万石に減封。本拠地を米沢城に移転</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">米沢移転の政務を行う。武家屋敷と町の開発、治水を開始</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">樋口惣右衛門</span>（<span style="color: #ff0000;">病死</span>）<br />　　　・志駄義秀（<span style="color: #800000;">史実では最上家に敗れた責任で高野山で謹慎中</span>）<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">米沢移転に関する政務中。後に京都に戻る</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣、現在は兼続の配下</span>）<br /><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">　　　・桜井晴吉（<span style="color: #000080;">ドラマでは半士半農の「原方衆」を率いている</span></span><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣になっている</span>）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣、現在は兼続の配下</span>）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">直江兼続の妻、京都に居住</span>）<br />　　　・菊姫（<span style="color: #000080;">上杉景勝の妻、京都に居住</span>）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（大幅減俸され一大名となっている）<br />　　　　・毛利秀元（セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（高野山に蟄居中）<br />　　　・長宗我部盛親（セリフなし。トラブルで領地を失い浪人に）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少）<br />　　　・淀（石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（関ヶ原の戦いに勝利、戦後処理中）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（直江兼続から養子縁組の打診を受けている）<br />　　　・<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank">井伊直政</a>（負傷中にも関わらず休まず戦後処理中。ムリがたたり･･･）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（上杉家からの交渉の取り次ぎなどを頼まれている）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル？）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #800000;">安芸（広島）に50万石の領地を貰い大名になる</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #800000;">肥後（熊本）で領地を50万石に増やされている</span>）<br />　　　・黒田長政（<span style="color: #800000;">筑前（福島）に50万石の領地を貰い大名になる</span>）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（<span style="color: #800000;">伊予（愛媛）に20万石の領地を貰い大名になる</span>）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #800000;">本拠地を仙台にして、仙台城下の再開発を開始</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（<span style="color: #800000;">加賀（金沢）120万石の大大名となっている</span>）<br />　　　・<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a>（<span style="color: #800000;">息子に家督を譲って隠居。浅野家は和歌山の大名に</span>）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />先週から登場している <span style="color: #800080;">松田勝重、井上高広、白井義忠、市川景清、長沼満政</span> は、どうやらドラマで作られた架空の人物名である可能性が高い、という情報を頂きました。<br />ただ、それぞれの人名にモデルとなった実在の家柄は存在するようです。<br /><br />今週は兼続パパが退場となりました。<br />初期から登場している人物は、徐々に減っていきそうですね･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十一回</span></strong><br /><br />・山形県 米沢市/高畠町<br />・亀岡文殊堂<br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br /><span style="color: #800000;">※今回は追加が１つだけだったので、全マップのみ更新しています。</span></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第四十回 「上杉転落」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/1006116.html" />
<modified>2009-10-12T00:22:21Z</modified> 
<issued>2009-10-05T18:23:58+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.1006116</id> 
<summary type="text/plain">戦国時代最大の合戦「関ヶ原の戦い」も終わり、その戦後処理が描かれる回。上杉家は西軍に味方して戦いましたが、その西軍は関ヶ原で敗れましたから、当然上杉家は処罰対象となります。天地人はよく「関ヶ原で負けた側を描く物語」と説明されますが、ここまではまだ負けてな...</summary> 
<dc:subject>第36回～第40回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/1006116.html">
<![CDATA[<p>戦国時代最大の合戦「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」も終わり、その<span style="color: #ff0000;">戦後処理</span>が描かれる回。<br />上杉家は西軍に味方して戦いましたが、その西軍は関ヶ原で敗れましたから、当然上杉家は処罰対象となります。<br />天地人はよく「<span style="color: #800000;">関ヶ原で負けた側を描く物語</span>」と説明されますが、ここまではまだ負けてなかったので、「負けた側」として描かれるのは<span style="color: #800000;">今回から</span>と言えますね。<br />ストーリーはいよいよ終盤に向かっていきます。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1601年 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」があった翌年<br />・関ヶ原の勝者となった徳川家による戦後処理が行われている最中</span><br /><br /><a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>が終わって、西軍に荷担した武将には処罰が、東軍に荷担した武将には恩賞が与えられていた頃ですね。<br />その中でもっとも大きかったものが、毛利家と上杉家の大減俸（領地の大幅減少）でした。<br />しかし、天下が確実に「太平の世」へ動き始めた頃でもあります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「遠山康光」ってまだ生きてたの？</span></strong><br /><br />ドラマの天地人では<a title="上杉景虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagetora" target="_blank">上杉景虎</a>の家臣であった「<span style="color: #800080;">遠山康光</span>」が徳川家康の側近のようになっています。<br />しかし、これは完全に<span style="color: #ff0000;">ドラマの創作</span>です。<br />面白い設定だとは思いますが、史実だとは思わないようにしてください。<br />でもこういう「<span style="color: #800080;">ライバルキャラ</span>」がいた方が、ストーリーは面白くなりますよね。<br /><br />ドラマでは徳川家康に面会した上杉景勝が、謝罪を要求する家康に対し「謝罪は不要」と突っぱねていました。<br />しかし<span style="color: #800080;">史実では上杉景勝は徳川家康に謝罪を行っている</span>ため、ここも<span style="color: #ff0000;">フィクション</span>だと言えます。<br /><br />ただ、「<span style="color: #800080;">上杉家は最後まで武門の意地を通した</span>」と武将達の間で噂になっていたことも確かであり、それを描いたシーンもドラマには出ていましたね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江兼続が「直江家」を本多正信に差し出すと言っていたけど、どういうこと？</span></strong><br /><br />西軍敗北の報告を受けて、すぐに<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>＆<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>は、上杉家が存続できる道を模索し始めます。<br />上杉景勝と直江兼続はまず、<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>の子で以前からの顔見知りであり、<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>とも親交があった「<span style="color: #800080;">結城秀康</span>」に徳川家康への連絡を頼みます。<br />さらに結城秀康を通して、<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>、<a title="本多忠勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondatada" target="_blank">本多忠勝</a>、<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a> などの徳川家の重臣を頼り、家康への謝罪の機会を伺っていました。<br /><br />そんな中、直江兼続が打ち出したのが「<span style="color: #ff0000;">本多正信の子を自分の娘と結婚させて、彼に直江家を継がせる</span>」というものでした。<br />つまり、本多正信の子に直江家を譲る、という事ですね。<br />ドラマでは徳川家康が「<span style="color: #800000;">これで上杉家を利用できる</span>」と言っていましたが、実際に上杉家の一番の重臣である「直江家」を、家康の軍師である本多正信の子が継げば、それに近い状況になると言えます。<br /><br />一方で、その本多正信の子は、実は「<span style="color: #800080;">宇喜多秀家</span>」の家臣であったため「関ヶ原の戦い」では<span style="color: #800080;">西軍</span>として戦っていました。<br />本多正信の子であったため罪には問われなかったのですが、立場的に微妙だったと思われます。<br />直江兼続はそこに目を付けたようで、それは本多正信 個人としても、悪い話ではなかったでしょう。<br /><br /><span style="color: #800080;">すなわち、兼続・家康・正信、誰にとっても利点のある縁組みだったようで、まさに兼続の「秘策」と言えます。<br /></span>が、直江家の家柄を徳川家康の腹心に与えてしまうのですから、直江家の中からは反対意見が出てくる訳で、特に直江兼続の弟<span style="color: #800000;">「大国実頼」はこれに大反対</span>します。<br />この件は、後にドラマでも描かれると思います･･･<br /><br />これらの件があったためか、上杉家の処分は関ヶ原の戦いの戦後処理の中でも、一番後に言い渡されました。<br />史実では、まず徳川家の重臣を通じて上杉景勝が徳川家康と会見、そこで景勝が謝罪し、処分はその翌日に言い渡されています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 小早川秀秋がフニャフニャになってたけどなんで？</span></strong><br /><br />風が吹いたら吹き飛びそうになってた<span style="color: #800080;">小早川秀秋</span>。<br />彼はこの翌年（つまり関ヶ原の戦いからわずか２年後）、<span style="color: #ff0000;">21 歳の若さで死んでしまいます･･･</span><br /><br />「関ヶ原の戦い」の勝敗を決定付けた彼は戦後、元々持っていた丹波（現在の兵庫県）の領地に加え、西軍の主力であった「宇喜多家」の領地である備前備中美作（現在の岡山県）を貰い、大大名に出世しました。<br /><span style="color: #800000;">ですが、関ヶ原での裏切り行為は戦後に誹謗中傷の的となり、さまざまな悪い噂を立てられていたようです。<br /></span>そのため彼は、次第に酒浸りの生活になっていったようです･･･<br /><br />彼の実際の死因はよく解っていません。<br />中傷を受けて精神的にまいっていたとか、狂死してしまったとか、農民に股間を蹴られて死んだとか、色々言われています。<br />ただ１つ確かなのは、すでにかなりの<span style="color: #800000;">アルコール中毒</span>だったようです。<br />晩年は、大谷吉継の亡霊（幻覚）に悩まされていたとも言われています。<br /><br />それにしても、名家の出身で相応に活躍していた人物が酒浸りになって身を落とし、最後には死んでしまって、それの放送がこの日（10月4日）だったとは･･･<br />ヘンに「タイムリー」でしたね･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 上杉家が「大幅減俸」されて、家臣が大騒ぎしてたけど･･･？</span></strong><br /><br /><span style="color: #800000;">上杉家は徳川家康の処分により、「会津120万石」から「米沢30万石」に領地を減らされます。<br /></span>この「万石」というのは「石高」と言われる単位であり、領地から得られる収入の事です。<br />一般に「お米の生産量」とされますが、他の産物もお米に換算されて石高の計算に含まれます。<br /><br />つまりこの処分で、上杉家の収入は <span style="color: #ff0000;">1/4</span> になった訳ですね。<br /><br />当然、家臣の収入もその分だけ減らないと上杉家は破綻する訳で、家臣にとっては死活問題でした。<br />しかし上杉家はこの状況にあって自らリストラすることはなく、俗に言う「希望退職」のみを募ったようです。<br />そして多くの家臣はこの退職に応じず、減俸の上杉家にそのまま付いていったようです。<br />ドラマでも描かれていたように、「<span style="color: #800080;">最後まで武門の意地や義を通した上杉家に誇りを持っていた</span>」家臣が多かったと言われています。<br /><br />実際は希望退職に２割は応じたようなのですが、年齢や体調などの都合があっての離籍も多かったようなので、８割が応じたというのはほぼ有力な家臣は全員残ったと言ってもいいでしょう。<br /><br />しかし、<span style="color: #800000;">石高が 1/4 になって家臣がほとんど残ったのですから･･･　財政は大ピンチ</span>です。<br /><br />これをどうやって切り盛りして行ったのか･･･<br />それが、今後の「天地人」で描かれるテーマになるでしょう。<br />現代の各自治体の状況を風刺しているかのようなこのテーマが、天地人の本当のメインテーマなのかもしれません。<br /><strong><span style="color: #ff00ff;"><br /><br />○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></span></strong>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">史実では家康に謝罪、ドラマでは謝罪せず。大幅減俸される</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">本多正信の子を養子にして関係の強化を計る</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（急に老けてた）<br />　　　・志駄義秀（<span style="color: #800000;">史実では最上家の反撃を受けて敗走している</span>）<br />　　・大国実頼（<span style="color: #800000;">本多正信の子を直江家の養子にする事に反対している</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣で、直江兼続の配下となっている</span>）<span style="color: #008000;"><br /></span>　　　・山岸尚家（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣となっている</span>）<br />　　　・桜井晴吉（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣となっている</span>）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #000080;">上杉家の重臣で、直江兼続の配下となっている</span>）<br /><br />　　　・お船（<span style="color: #000080;">直江兼続の妻、京都に居住</span>）<br />　　　・菊姫（<span style="color: #000080;">上杉景勝の妻、本多正信が保護していた</span>）<br /><br />　●元・西軍<br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（<span style="color: #800000;">大幅減俸され一大名となっている</span>）<br />　　　　・毛利秀元（<span style="color: #800000;">セリフなし。輝元から領地を分け与えられ小大名に</span>）<br />　　　△宇喜多秀家（<span style="color: #ff0000;">八丈島に流罪</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">小早川秀秋</span>（<span style="color: #ff0000;">中傷され酒浸りの生活になり、死んでしまう</span>）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（<span style="color: #800000;">高野山に蟄居中</span>）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（<span style="color: #800000;">高野山に蟄居中</span>）<br />　　　・長宗我部盛親（<span style="color: #800000;">セリフなし。トラブルで領地を失い浪人に</span>）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少）<br />　　　・淀（石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう）<br /><br />　●元・東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">関ヶ原の戦いに勝利、戦後処理中</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #000080;">直江兼続から養子縁組の打診を受ける</span>）<br />　　　・<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank">井伊直政</a>（<span style="color: #800000;">負傷中にも関わらず休まず戦後処理中。ムリがたたり･･･</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（<span style="color: #800000;">史実では上杉家から謝罪の取り次ぎを頼まれている</span>）<br />　　　・遠山康光（<span style="color: #000080;">史実ではすでに死亡している。ドラマでは兼続のライバル？</span>）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">領地が増加するが、豊臣家の没落に心を痛めている</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #800000;">九州で領地が増加、豊臣家と徳川家の仲を取り持とうとする</span>）<br />　　　・黒田長政（<span style="color: #800000;">恩賞で領地が増加</span>）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（<span style="color: #800000;">恩賞で領地が増加、史実では家康の片腕になっている</span>）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #800000;">家康との100万石の約束を反故にされている</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（<span style="color: #800000;">徳川家との関係を強化し領地の安泰を計っている</span>）<br />　　　・<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a>（<span style="color: #800000;">徳川家の江戸統治に協力している</span>）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />後期の上杉家の家臣だと思われる人の名前がたくさんオープニングクレジットに追加されていましたが･･･<br />たぶん名前だけだと思うので、表には追記していません。<br /><br />ちなみに名前は、<span style="color: #800080;">松田勝重、井上高広、白井義忠、市川景清、長沼満政</span> でしたが、知っている名前は１人もいませんでした･･･<br />調べてみてもよく解らなかったので、メジャーな武将ではないようです。<br /><br />ここからは戦国時代も終盤になるので、死去する武将も増えていきます。<br />リストもだんだん寂しくなっていくかも･･･？<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第四十回</span></strong><br /><br />・岡山県 岡山市<br />・岡山城（烏城）<br />・二十日掘跡<br /><br />・<a title="天地人紀行　第四十回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map40.html" target="_blank">天地人紀行 第四十回のマップ</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script></p>]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第三十九回 「三成の遺言」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/993630.html" />
<modified>2009-10-05T13:35:51Z</modified> 
<issued>2009-09-28T14:45:52+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.993630</id> 
<summary type="text/plain">「関ヶ原の戦い」の後日談。 石田三成が退場となる回ですね。石田三成の死が描かれる、ストーリー的に非常に重要な回です。ただ、今回描かれている場面の多くは史実通りのものではなく、天地人流の「アレンジ」となっています。史実を元にしている部分が多く、史実のエピソー...</summary> 
<dc:subject>第36回～第40回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/993630.html">
<![CDATA[<p>「<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">関ヶ原の戦い</a>」の後日談。 <span style="color: #ff0000;">石田三成が退場となる回</span>ですね。<br />石田三成の死が描かれる、ストーリー的に非常に重要な回です。<br /><br />ただ、今回描かれている場面の多くは史実通りのものではなく、<span style="color: #ff0000;">天地人流の「<strong>アレンジ</strong>」</span>となっています。<br />史実を元にしている部分が多く、史実のエピソードを参考にしているセリフも多いのですが、１つ１つの場面が全部史実通りだとは思わないように。<br /><br />もちろん、ドラマは史実通りに作ればいいというものではありませんから、それを非難する訳ではありません。<br />ただ「大河ドラマ」であるため、全部史実だと勘違いしてしまう人も多いので･･･　念のため。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1600年9月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・「関ヶ原の戦い」のあった時<br />・それに合わせ東北・北陸・九州など日本各地で合戦が発生</span><br /><br />関ヶ原の戦いは9月15日に起こりました。<br />戦いは１日で決着が付いたので、月の後半は戦後処理が行われています。<br />直江兼続が最上家・伊達家と戦っていた「長谷堂城の戦い」は9月末まで行われているため、直江兼続の退却戦があったのは月末、帰還したのは実際には10月4日です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ さらし者になってた石田三成が福島正則と言い争ってたけど、本当？</span></strong><br /><br />石田三成は捕まって、さらし者にされてから処刑されるまでの間に<span style="color: #800080;">色々な武将と話をしており、その内容がいくつか記録に残されています。<br /></span>ドラマで描かれていた福島正則との口論や、小早川秀秋への発言、徳川家康との対面などもその１つです。<br />ただ、ドラマのものはかなりアレンジされています。<br /><br />記録に残っている、実際の石田三成と他の武将とのやり取りは、以下の通りです。<br /><br /><strong>・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a></strong><br />さらし者にされている<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>の前を通りかかった福島正則が「<span style="color: #800080;">身の程もわきまえず大乱を起こしてこのザマだ。これが五奉行のなれの果てか</span>」と罵倒。<br />それに対し三成は「<span style="color: #000080;">お前のような知恵の足りない者に何がわかる</span>」と反論。<br />さらに正則は「<span style="color: #800080;">戦に敗れながら腹も切らずに逃げ回り、縄目の恥を受けおって</span>」と言い、三成は「<span style="color: #000080;">英雄たる者は最後まで生き残り機会を待つものだ。お前を生け捕って縄目に出来なかったのは天運だ</span>」とやり返しています。<br /><br />ドラマにあった<span style="color: #ff0000;">三成と酒を飲むシーンは完全にフィクション</span>です。<br />ただ、福島正則は後に豊臣家が没落していき、世の中が徳川家のものになっていくのを見て、だんだん酒に溺れるようになったと言います。<br />あのシーンは、この辺りを含んでいるのかもしれません。<br /><br /><strong>・<a title="本多正純" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondaMasazumi" target="_blank">本多正純</a></strong><br />本多正純は徳川家康の軍師「<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>」の子です。<br />捕らえた石田三成を検分した武将で、この時に「<span style="color: #800080;">秀頼様はまだ幼く事の善悪を判断できない。平和を保つべき時にそのような方を担ぎ上げて戦を起こし、縄目を受けたのはどういう事だ</span>」と発言。<br />これに対し石田三成は「<span style="color: #000080;">太閤（秀吉）様の恩は例えようもなく大きい。 徳川を討たなければ豊臣家に行く末がないと思い、反対を押し切って挙兵したのだ。 二心ある者に裏切られ、勝つべき戦に負けた事こそ悔しい</span>」と反論。<br />これに本多正純は「<span style="color: #800080;">知将は人情を計り時勢を知る。 賛成を得られないまま、よくも軽々しく戦を起こしたものだ。 しかも敗れた上に自害もせず捕らえられるとは</span>」と言い、<br />石田三成は鎌倉幕府を起こした「源頼朝」が戦いに敗れた後に逃げて身を潜め、後に挙兵して反撃したことを例に挙げて、「<span style="color: #000080;">汝は武略を知らぬ。 自害は葉武者（雑兵）のすること。 汝のような者に大将の道など語るだけ無駄</span>」と言い返したと言います。<br /><br />後に徳川家康はこの話を聞いて、「<span style="color: #800080;">さすがは三成、日本の政務を執った者だ。 命をみだりに捨てないのは将の心とする所であり、恥辱ではない</span>」と語っています。<br /><br /><span style="color: #ff0000;">ドラマでは、本多正純の最初のセリフが徳川家康のセリフとなっていました</span>。<br />また、三成と家康の対面シーンは、この本多正純とのやり取りと、前述の福島正則とのやり取りを元にして作成されていたようです。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・小早川秀秋</span></strong><br />石田三成の様子を見に行こうとして<span style="color: #800080;">細川忠興</span>に止められますが、それを振り切って三成の元に向かいます。<br />すると三成は秀秋に「<span style="color: #000080;">汝の二心を知らなかったのは愚かだった。 だが約束を違え、義を捨て、人を欺き、裏切りを働いたのは武将の恥辱である。 末の世まで語り継がれて笑われよう！</span>」と発言。<br />小早川秀秋は反論も出来ずに立ち去ったと言われています。<br />ドラマではこのセリフはありませんでしたが、秀秋に辛く当たるような場面は描かれていましたね。<br /><br /><strong>・<a title="田中吉政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#tanaka" target="_blank">田中吉政</a></strong><br />石田三成と仲の良かった武将。 豊臣家の武将ですが関ヶ原では東軍に属しています。<br />石田三成を捕らえた武将ですが、三成を丁重に扱い、三成は「<span style="color: #000080;">お前に捕らえられて良かった</span>」と言って刀を授けたといいます。<br />追っ手が田中吉政であることを知って、三成が故意に彼の元に出頭したという説もあります。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・黒田長政</span></strong><br />関ヶ原の戦いでは石田三成の本陣を攻めた東軍の主力。<br />さらし者になった三成を見かけると馬を下りて近づき、「<span style="color: #800080;">不幸にしてこのようになってしまわれた</span>」と言って自分の羽織を脱ぎ、三成に着せたといいます。<br /><br /><strong>・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a></strong><br />関ヶ原の戦いでは黒田長政と同じく、東軍の主力の一人。<br />関ヶ原における石田三成の部隊の戦いぶりを賞賛し、自分の部隊について何か気付くことがなかったか質問。<br />すると石田三成は「<span style="color: #000080;">鉄砲隊の指揮官を取り立てるべきだ</span>」と言っています。<br />藤堂高虎はすぐに鉄砲隊の指揮官を高給で召し抱え、さらに鉄砲隊の指揮官を優遇することを藤堂家の家訓にしたといいます。<br />なお、戦後に大谷吉継の墓も建立しています。<br /><br /><strong>・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a></strong><br />対面時に家康は「<span style="color: #800080;">戦は時の運。どんな名将でも負ける事はある。恥でない</span>」と言い、三成は「<span style="color: #000080;">承知のこと。天運が味方しなかったのみ。早く首をはねられよ</span>」と発言。<br />徳川家康は「<span style="color: #800080;">さすが三成、大将の器量がある</span>」と言い、その態度を賞賛したといいます。<br /><br /><span style="color: #000080;">・市中引き回しの際の会話</span><br />さらし者にされる前、石田三成は共に西軍挙兵の計画を立てた「小西行長」「安国寺恵瓊」などと共に市中引き回しにされます。<br />この時、徳川家康が三人に「小袖（上着）」を送っていたのですが、三成はそれを見て兵士に「<span style="color: #000080;">この小袖は誰からのものだ</span>」と聞きます。<br />そのため兵士が「<span style="color: #800080;">上様からです</span>」と答えると、三成は「<span style="color: #000080;">上様は秀頼様の他にいないはずだ。いつから家康が上様になったのだ</span>」と答え、受け取らなかったと言います。<br /><br /><span style="color: #000080;">・処刑前の兵士との会話</span><br />処刑される前、連行していた兵士が石田三成に干し柿を与えようとすると、三成は「<span style="color: #000080;">干し柿は体に悪いからいらない</span>」と言います。<br />すると兵士は「<span style="color: #800080;">これから死ぬのに意味のないことを</span>」と言い、それに対し三成は「<span style="color: #000080;">大志を持つ者は最後の瞬間まで命を大事にするものだ</span>」と語ったといいます。<br /><br />そして10月1日、<span style="color: #ff0000;">石田三成の処刑</span>が行われました･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 初音が三成の死を兼続に伝えてたけど･･･　結局「初音」って誰？</span></strong><br /><br />私も最近まで知らなかったのですが、<span style="color: #800080;">初音にはモデル</span>がいます。<br />「<span style="color: #800080;">初芽局（初芽の局）</span>」という女性で、徳川家康が送った間者（刺客）でしたが、石田三成の人柄に惚れてしまい、そのまま本当の側室のようになったと言います。<br /><br />関ヶ原の後については複数の説があり、徳川側に殺されたというものと、京都で石田三成の菩提を弔いながら余生を過ごしたというものがあります。<br />ただし記録が少ないため、<span style="color: #800000;">実在の人物かどうかも不明</span>です。<br /><br />ドラマの「初音」は真田家の娘という設定も付いているため、今後は真田幸村に絡むのだと思われますが･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「関ヶ原の戦い」のあと、他の武将はどうなったの？</span></strong><br /><br />ドラマでも毛利輝元の減俸（領地の減少）や、真田家が領地没収の処分を受けた場面が描かれていましたが･･･<br />「宇喜多秀家」など、関ヶ原で戦った西軍の武将がどうなったのかまでは、ほとんど描かれていませんでした。<br />これらも史実の補足として、一覧で記載しておきましょう。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・毛利輝元</span></strong><br />一応、名目上は西軍の総大将。<br />しかし関ヶ原の戦いで石田三成が敗れた報告を聞くと、<span style="color: #800000;">あっさり大阪城から退去</span>します。<br />この時、関ヶ原で毛利軍を率いた「<span style="color: #800080;">毛利秀元</span>」や、九州の西軍の武将「<span style="color: #800080;">立花宗茂</span>」から大阪城を出ることに反対されていますが、無視して退去しています。<br />（でも開戦まで毛利秀元も、石田三成の挙兵や毛利輝元の西軍総大将に反対していました）<br /><br />この退去は家臣の「<span style="color: #800080;">吉川広家</span>」が「<span style="color: #000080;">関ヶ原で戦わなければ毛利家の領地は補償する</span>」という約束を取り付けていたためだと思われますが、結局この約束は無視され、<span style="color: #ff0000;">毛利家は大幅に領地を減らされます</span>。<br />ドラマで毛利輝元が怒ってるのを見て、「西軍の総大将なんだから領地を減らされるのは当たり前じゃん」と思った人もいると思いますが、家康に怒ってたのはこういう事情があったから、とも言えます。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・宇喜多秀家</span></strong><br />関ヶ原西軍の主力。 でもドラマでは、たぶんこのまま出番なし？<br />「関ヶ原の戦い」では最後まで戦おうとするも家臣に押し止められ、宇喜多軍は「<span style="color: #800080;">明石全登</span>」をしんがりにして退却。<br />その後、妻である前田家の姫「<span style="color: #800080;">豪姫</span>」と別れ、九州の大名家「<span style="color: #800080;">島津家</span>」へと落ち延びます。<br />この際に山賊に襲われますが、その山賊が秀家の人柄を気に入って、逆に道中を護衛したというエピソードがあります。<br />島津家に落ち延びた後はそこにしばらく潜伏しますが、島津家からの勧めもあって徳川家に出頭。<br />各地の大名からの助命嘆願もあって一命は許されますが、<span style="color: #ff0000;">八丈島に流刑</span>となります。<br />その後、83才まで長生きしています。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・真田昌幸＆幸村</span></strong><br />信濃の「上田城」で、徳川家康の息子「<span style="color: #800080;">徳川秀忠</span>」の三万八千の軍勢を、わずか 2000 の兵で足止めした真田昌幸と<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">幸村</a>。<br />戦後、徳川家康は真田昌幸と幸村の２人を死罪にしようとしましたが、真田幸村の兄「<span style="color: #800080;">真田信之（信幸）</span>」や、徳川家の猛将で真田信幸を娘婿にしていた「<a title="本多忠勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#tadakatu" target="_blank">本多忠勝</a>」からの強い助命嘆願があり、一命は許され、真田昌幸＆幸村は<span style="color: #ff0000;">高野山に流刑</span>となります。<br /><br />なお、ドラマで「真田昌幸は領地没収」と説明されていましたが、真田家の領地は真田信之が継いでいるため、真田家自体はそのまま同じ場所に存続しています。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・豊臣家</span></strong><br />全国にあった 220 万石の<span style="color: #ff0000;">領地を大幅に減らされ</span> 65 万石となります。<br />これにより、ほぼ「一大名」の地位まで低下したことになります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 小早川秀秋に「俺を逃がしてくれ」って三成が頼んでたけど･･･？</span></strong><br /><br />このシーンもドラマのフィクションですが、<span style="color: #800080;">石田三成は逃亡中、最後まで逃げて再起を図ろうと考えていたようです。</span><br /><br />敗戦後、家臣と別れる際には「<span style="color: #000080;">大阪で会おう</span>」と約束しており、逃亡先の村や寺で匿われている際にも「何がご所望か？」と聞かれ「<span style="color: #000080;">家康の首が欲しい</span>」と答えています。<br />また、村の者にも「<span style="color: #000080;">再起して再び一戦交える。平安を取り戻したらこの村の街道を石畳にしよう</span>」などと語っており、逃げ延びれば再度挙兵することが可能だと考えていたようです。<br /><br />小早川秀秋に逃がしてくれと訴えるシーンは、これらの話を元にしていたようですね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></span></strong>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">会津に戻ってどうしようか考え中</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #800000;">史実では家康の子「結城秀康」を通じて交渉を開始している</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（米沢城の留守）<br />　　　・志駄義秀（<span style="color: #800000;">最上領から帰還して戦後処理中</span>）<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">京都で戦後の交渉を開始</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（越後に帰還、戦後処理中のはず）<br />　　　　△泉沢久信（結局、単なるちょい役？）<br />　　　　△<span style="text-decoration: line-through;">泉沢又次郎</span>（<span style="color: #800000;">一揆を扇動･･･？　単なるちょい役？</span>）<br />　　　　△<span style="text-decoration: line-through;">泉沢弥三郎</span>（<span style="color: #800000;">一揆を扇動･･･？　</span><span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;"><span style="color: #800000;">単なるちょい役？</span>）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（この時期の詳細不明）<br />　　　・桜井晴吉（この時期の詳細不明）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（兼続と共に軍勢を指揮し、会津に帰還）<br /><br />　　　・お船（直江兼続の妻、京都に居住）<br />　　　・菊姫（<span style="color: #000080;">上杉景勝の妻、本多正信が保護している</span>）<br /><br />　●西軍<br />　　○豊臣五奉行<br />　　　&times;<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">石田三成</span></a>（<span style="color: #ff0000;">捕らえられ、京都で晒された後、処刑</span>）<br />　　　△増田長盛（<span style="color: #800000;">家康に情報を伝えたため一命は許されるが高野山に流罪</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">長束正家</span>（<span style="color: #ff0000;">史実では西軍敗北を受け、自害</span><span style="color: #800000;"><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・<a title="前田玄以" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#maedageni" target="_blank">前田玄以</a>（家康に内通、合戦にも出なかったため許されている）<br /><br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（<span style="color: #000080;">大阪城からあっさり退去。しかし大幅減俸を食らう</span>）<br />　　　　・毛利秀元（<span style="color: #800000;">セリフなし。関ヶ原では動けなかった。輝元の退去に反対</span>）<br />　　　・宇喜多秀家（<span style="color: #800000;">関ヶ原で敗戦後、九州の島津家に落ち延びる</span>）<br />　　　・小早川秀秋（<span style="color: #000080;">寝返ったおかげで恩賞を受けるが、世間の目は冷たい</span>）<br />　　　　・杉原重治<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（<span style="color: #000080;">徳川軍の足止めをしたため高野山に流罪</span>）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（<span style="color: #000080;">父と共に高野山に流罪</span>）<br />　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">小西行長</span>（<span style="color: #ff0000;">セリフなし。しかも処刑されてるはず</span>）<br />　　　・長宗我部盛親（<span style="color: #800000;">セリフなし。一度は許されるがトラブルで領地没収</span>）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（<span style="color: #800000;">豊臣家の跡継ぎ。西軍敗戦で領地は大幅減少</span>）<br />　　　・淀（<span style="color: #800000;">石田三成や豊臣五奉行の消滅で、独裁的な権力を持ってしまう</span>）<br /><br />　●東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">関ヶ原の戦いに勝利、戦後処理中</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #800000;">上杉家に降伏するよう打診している</span>）<br />　　　・<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank">井伊直政</a>（<span style="color: #800000;">負傷中にも関わらず休まず戦後処理中</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（<span style="color: #800000;">真田昌幸に足止めされた徳川秀忠をかばっている</span>）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #333399;">関ヶ原の恩賞で広島に移転し領地が増加</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #800000;">九州で東軍として戦い、恩賞で領地が増加</span>）<br />　　　・黒田長政（<span style="color: #008000;">名前だけ初登場。</span>恩賞で領地が増加）<br />　　　・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>（<span style="color: #008000;">名前だけ初登場。</span>恩賞で領地が増加、史実では家康の片腕に）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #800000;">恩賞で領地が増加。ただし約束の100万石はなかったことに</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br />　　　・前田利長（<span style="color: #800000;">東軍として北陸で戦ったため恩賞で領地が増加</span>）<br />　　　・<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a>（東軍だったが徳川秀忠軍だったため動けなかった）<br /><br />　　　・北政所（京都で情勢を見守っている）<br /><br />「黒田長政」と「藤堂高虎」が、例によって「名前だけ」パターンで登場しています。<br />今後、見せ場やセリフはあるのでしょうか･･･？<br /><br />あと、越後に残っていた泉沢久秀の息子達が、なんだかスルーされています。<br /><span style="color: #800080;">越後では「関ヶ原の戦い」の際、旧上杉派の一揆が起こっています</span>。<br />これは直江兼続が越後を治めていた「堀秀治」の足止めと、あわよくば越後への帰還を狙って起こしたものだったと言われており、ドラマでもその場面を描くために泉沢久秀の息子達を登場させたのだと思っていたのですが･･･<br />結局、この一揆は全く描かれないまま終わってしまいました。<br /><br />ドラマの直江兼続のセリフからして、本来は描く予定だったのだと思うので、途中でシナリオ変更になったのでしょうか･･･？<br />ともかくそんな訳で、泉沢久秀の息子達もこれでお役ご免だと思います。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第三十九回</span></strong><br /><br />・広島県 福山市/広島市<br />・広島城<br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><br />（今回は広島城だけだったので全名所マップのみにしています）</p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第三十八回 「ふたつの関ヶ原」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/981251.html" />
<modified>2009-09-26T16:36:34Z</modified> 
<issued>2009-09-21T18:07:40+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.981251</id> 
<summary type="text/plain">「関ヶ原の戦い」の回。 見所のある合戦シーンが続くクライマックスと言える回でしょう。キャストが少なかったり、簡易的な撮影シーンが多いと言われる「天地人」ですが、さすがに今回は多数のエキストラで迫力ある合戦シーンが描かれていました。これだけの甲冑や騎馬武者を...</summary> 
<dc:subject>第36回～第40回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/981251.html">
<![CDATA[<p><strong><span style="color: #ff0000;">「関ヶ原の戦い」の回</span></strong>。 見所のある合戦シーンが続く<span style="color: #ff0000;">クライマックス</span>と言える回でしょう。<br />キャストが少なかったり、簡易的な撮影シーンが多いと言われる「天地人」ですが、さすがに今回は多数のエキストラで迫力ある合戦シーンが描かれていました。<br />これだけの甲冑や騎馬武者をそろえようと思ったら、かなり大規模な撮影が必要だったと思われます。<br /><span style="color: #800000;">※（後日追記）合戦シーンには、今までの大河ドラマで撮ったものを流用した部分も多かったとの事です。<br /></span><br />各武将の衣装なども当時の記録や家紋を元にしたものになっており、見所の１つでしたね。<br />陣や兵士に付いていた「旗」も、「関ヶ原合戦図屏風」を元にしていたと思われ、資料に沿ったものになっていたようです。<br />合戦の全体図も CG で描かれたものでしたが、<span style="color: #0000ff;">関ヶ原の地形や高低差を立体的に眺める事が出来て</span>、非常に解りやすくて良かったと思います。<br /><br />え？ 直江兼続？ そう言えば、そんな人もちょっと映ってたような･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「関ヶ原の戦い」とは？</span></strong><br /><br />今回のほぼ全篇を通して描かれた「関ヶ原の戦い」。<br />これについては、詳細を解説したページを以前に作成しています。<br /><span style="color: #ff0000;">詳しいことはこのページですべて解説していますので、そちらをご覧頂ければと思います。<br /></span><br /><table border="0"><tbody><tr><td><a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank"><img class="pict" src="http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/3/6/368205d7.gif" border="0" alt="関ヶ原の戦い" hspace="5" width="288" height="51" align="left" /></a></td><td>&nbsp;<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank"><strong>関ヶ原の戦い（解説ページ）</strong></a></td></tr></tbody></table><br />ドラマの天地人で描かれた「関ヶ原の戦い」と、実際の「関ヶ原の戦い」の<span style="color: #ff0000;">相違点</span>は･･･<br /><span style="color: #000080;"><br />・島左近が最後まで健在（史実では開戦早々に銃撃を受けて重傷になりました）<br />・徳川家康の元に「遠山康光」がいる（完全にドラマ「天地人」オリジナルの展開ですね）<br /></span><br />史実の関ヶ原のポイントだけど、ドラマでは<span style="color: #ff0000;">省略されてしまった部分</span>は･･･<br /><br /><span style="color: #000080;">・島左近が徳川軍を誘い出して撃破した前哨戦「杭瀬川の戦い」<br />・島左近や島津が夜襲を提案したが石田三成が却下した件<br />・毛利軍が動かない理由、及び毛利軍の吉川広家の「空弁当」<br />・島津軍の存在、及び島津義弘の「敵に向かって退却」<br />・小早川秀秋の裏切り後、大谷吉継は何度か秀秋軍を押し返している</span><br /><br />史実通りを<span style="color: #ff0000;">さりげなく再現していた部分</span>は･･･<br /><br /><span style="color: #000080;">・石田三成軍が砲撃していた「大砲」<br />　（でもホントは徳川軍も大砲を備えていた）<br />・御輿に乗って指揮をする大谷吉継と、セリフの「死ねや」<br />・宇喜多秀家が小早川秀秋の裏切りを聞いて怒り、自ら戦おうとして家臣に止められる<br /></span><br />こんなところでしょうか。<br />とにかく、多くの兵士の合戦が描かれた見所のあるシーンが満載でしたね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 上杉軍は「関ヶ原」の裏で、なぜ最上家への攻撃を行ったの？</span></strong><br /><br />徳川軍を待ち受けていたにも関わらず、徳川軍が「関ヶ原」方面へ反転してしまったため、スルーされてしまった上杉軍。<br />しかし時を同じくして<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>が上杉領に進攻を開始、上杉家と伊達家の国境にあった城<span style="color: #800000;">「白石城」も政宗の猛攻で１日で陥落</span>、城主の<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">パパイヤさん</a>もあっさり敗走してしまいます。<br /><br />この状況だと、普通に考えれば上杉軍は伊達軍に備えるはずです。<br />それに徳川軍と戦うつもりの時は、上杉家は「防衛戦」「持久戦」の備えを行っていました。<br /><span style="color: #800080;">しかしここで直江兼続は、会津の北にある「最上家」への進攻を開始します。</span><br /><br />なぜ最上家への先制攻撃を行ったのかは、正確には不明です。<br />最上家は伊達家と共に上杉家を攻撃する準備を進めていましたから、放っておいたら上杉家は２方向から攻撃を受ける事になるので、それを防いだというのが一般的な見方ですが、すでに伊達家に攻められているので、どっちみち二正面作戦の状態です。<br /><br />説としては･･･<br /><span style="color: #000080;">・本来は防衛戦の方が有利だが、白石城があっさり落ちたので、やっぱりダメだと思い直した。<br />・徳川家康が関東に戻ってじっとしていたので、こちらに目を向けさせたかった。<br />・何らかの理由で先手を打った方が有利な状況だった。<br />・最上家が落ちればその領土から伊達家の領土の側面を狙えるので、それを狙っていた。<br />・上記の理由で伊達政宗も最上家を無視できないので、伊達軍の反転を狙った。<br /></span><br />などがあります。<br />でも、作戦計画の話ですから、実際に上杉家がなにを考えて、なにを準備していたのかはやっぱり解りませんね。<br />ともかく、上杉家は最上家への進攻を開始、俗に言う「<span style="color: #ff0000;">長谷堂城の戦い</span>」が起こります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 上杉軍が攻めていた「長谷堂城」ってなに？ どんな戦いだったの？</span></strong><br /><br />ドラマでは、<br /><span style="color: #000080;">泉沢久秀：「さすがに手強いのぅ」</span><br /><span style="color: #800080;">直江兼続：「かかれぇ～！」</span><br /><span style="color: #000080;">泉沢久秀：「西軍負けたでぇー」</span><br /><span style="color: #800080;">直江兼続：「退けぇ～！」</span><br />で、終わった「長谷堂城の戦い」。<br /><br />関ヶ原がメインだったので、長谷堂城の戦いはあまり描かれませんでしたが･･･<br />関ヶ原については<a title="関ヶ原の戦い" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/sekigahara.htm" target="_blank">解説ページ</a>で詳細に説明していますので、ここでは「長谷堂城の戦い」について記載したいと思います。<br /><br />この戦いは「関ヶ原の戦い」の裏で、<span style="color: #800080;">直江兼続 率いる上杉軍が最上家の領内に進軍した戦いで、同時期に上杉領の西では伊達軍が上杉家への進攻を行っています。<br /></span><br /><img class="pict" src="http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/0/a/0ae430d1.png" border="0" alt="長谷堂城の戦い" hspace="5" width="355" height="364" /><br /><br />上杉軍が出発したのは9月9日。<br />開戦当初は上杉軍は連勝を続け、最上家の城「畑谷城」なども陥落させていきます。<br />しかし<span style="color: #800000;">重要拠点である「長谷堂城」だけは、陥落しませんでした</span>。<br />直江兼続は9月16日に長谷堂城を包囲して、翌日には２万近い兵力で総攻撃を開始するのですが、<span style="color: #800000;">長谷堂城の周囲に広がっていた「田んぼ」に足を取られて思うように進めず、攻撃は失敗</span>。<br />長谷堂城の兵力は 1000 程度だったと言われていますが、上杉軍は大きな損害を出してしまいます。<br />ドラマでも長谷堂城が映されたシーンで、その周囲に田んぼが広がっているところが描かれていましたね。<br />加えて、長谷堂城の近くの「上山城」の攻略にも失敗してしまいます。<br /><br /><span style="color: #800000;">その後も兼続は力攻めを繰り返しますが、城はまったく落ちません</span>。<br />ドラマでは直江兼続が急いで城を攻めようとする武将達を制止していましたが、実際には兼続自身が急いで城攻めを行って、失敗を続けていたようです。<br />情勢を考えると、<span style="color: #800080;">上杉家にノンビリしている余裕はなかった</span>でしょうから、こんなところで足止めを受ける訳にはいかなかったのだと思われます。<br />でも実際には、戦術的にも物理的にも「足止め」をされてしまいます･･･<br /><br />なお、関ヶ原の戦いは9月15日に行われましたから、<span style="color: #800000;">長谷堂城への総攻撃が始まった時には、すでに決着が付いていた</span>訳ですが･･･<br />もちろん、上杉・伊達・最上などの東北の各勢力は、まだこの事実を知りません。<br /><br />その後、「<span style="color: #800080;">留守政景</span>」の率いる伊達家の援軍が長谷堂城に到来し、そのまま戦線はこうちゃく。<br />そして月末、関ヶ原の戦いの結果が伝えられ、上杉軍は急いで撤退の準備を開始、逆に伊達・最上軍は追撃戦を開始します。<br /><br /><span style="color: #800080;">この時、直江兼続は見事に撤退戦を指揮し、前田慶次の奮戦などもあって、敵側からも賞賛されるほどの退却を行っています。<br /></span>また、東軍勝利の報告を受けて伊達政宗が上杉領への攻勢を強めますが、これは福島城で守っていた<a title="本庄繁長" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#honzyousige" target="_blank">本庄繁長</a>によって阻まれます。<br /><br />その後、関ヶ原の戦いの終結に伴い、各地の大名家に停戦命令が布告され、戦闘は終結。<br />関ヶ原の裏で行われた東北地方の戦乱も、そのまま終息しました。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></span></strong>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">会津に戻り、伊達・最上に備える</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">最上家に進攻開始、長谷堂城攻めの指揮を採る</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（米沢城の留守を務めている）<br />　　　・志駄義秀（<span style="color: #800000;">最上家に北側から軍勢を率いて進攻</span>）<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">直江兼続と共に長谷堂城攻めに参加</span>）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #000080;">直江兼続と共に長谷堂城攻めを行っている</span>）<br />　　　　・泉沢久信（久秀の子、会津へ）<br />　　　　・泉沢又次郎（越後で一揆を起こしてる？）<br />　　　　・泉沢弥三郎（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">越後で一揆を起こしてる？）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（この時期の詳細不明）<br />　　　・桜井晴吉（この時期の詳細不明）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #800000;">白石城があっさり落ちたので景勝から大目玉を食らう。兼続軍に編入される</span>）<br /><br />　　　・お船（直江兼続の妻、京都に居住、西軍の人質となる）<br />　　　・菊姫（上杉景勝の妻、京都に居住、西軍の人質となる）<br /><br />　●西軍<br />　　○豊臣五奉行<br />　　　・<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>（<span style="color: #000080;">関ヶ原の戦いで西軍を率い、東軍と戦う</span>）<br />　　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;"><a title="島左近" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#sakon" target="_blank">島左近</a></span>（<span style="color: #ff0000;">関ヶ原の戦いで敗戦、戦死</span>）<br />　　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">大谷吉継</span>（<span style="color: #ff0000;">関ヶ原の戦いで敗戦、自害</span>）<br />　　　　　&times;<span style="text-decoration: line-through;">湯浅五助</span>（<span style="color: #800000;">大谷吉継の家臣。吉継の首を埋めた後戦死</span>）<br />　　　・増田長盛（<span style="color: #800000;">西軍として活動するが、三成の挙兵を家康に報告する</span>）<br />　　　・長束正家（<span style="color: #800000;">毛利家の側に布陣していたため動きが取れず</span><span style="color: #800000;"><span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・前田玄以（<span style="color: #800000;">西軍の動きを家康に報告している</span>）<br /><br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（<span style="color: #000080;">西軍の総大将という名目だが、大阪城から出ていない</span>）<br />　　　　・毛利秀元（<span style="color: #008000;">名前だけ初登場。</span>戦場にいた毛利軍の大将。でも動けなかった）<br />　　　・宇喜多秀家（<span style="color: #000080;">西軍の主力。福島正則などと戦い善戦するが小早川秀秋の裏切りで敗走</span>）<br />　　　・小早川秀秋（<span style="color: #000080;">途中で東軍に寝返り、関ヶ原の戦いの決着を付ける</span>）<br />　　　　・杉原重治（<span style="color: #008000;">初登場。</span>小早川秀秋の家臣。優柔不断な秀秋に催促）<br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a>（<span style="color: #000080;">徳川軍のもう一つの主力「徳川秀忠」軍を「上田城」で足止めする</span>）<br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（<span style="color: #000080;">真田昌幸と共に上田城で徳川軍を足止め</span>）<br />　　　・小西行長（<span style="color: #008000;">名前だけ初登場</span>。西軍挙兵の計画を三成と共に立てる。関ヶ原でも戦うが敗北）<br />　　　・長宗我部盛親（<span style="color: #008000;">名前だけ初登場</span>。三成から進軍の催促を受けるが毛利軍の後方だったため動けず。やる気があったかも疑問）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。名目上、石田三成が保護している）<br />　　　・淀（秀頼の母。名目上、石田三成が保護している）<br /><br />　●東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（<span style="color: #000080;">関ヶ原の戦いで東軍を率い、西軍と戦う</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a>（<span style="color: #800000;">徳川秀忠軍に参加していた。真田を無視して進むよう進言するが却下される</span>）<br />　　　・<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank">井伊直政</a>（<span style="color: #800000;">関ヶ原に参陣、島津義弘の突撃で負傷</span>）<br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a>（<span style="color: #800000;">徳川秀忠軍に参加していた。真田攻撃を止めるよう進言するが却下された</span>）<br />　　　・遠山康光（史実ではすでに死亡している）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #000080;">関ヶ原の戦いの東軍の主力の一人。宇喜多軍と激突</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #800000;">九州で黒田官兵衛と共に東軍として動き、立花家・小西家などと戦っている</span>）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#date" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">上杉家へ進攻し白石城を落とすが本庄繁長に進軍を阻まれている</span>）<br />　　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a>（<span style="color: #800000;">上杉家への進攻を開始、政宗と合流し本庄繁長と戦闘</span>）<br />　　　・前田利長（<span style="color: #800000;">東軍として進攻しようとするが大谷吉継の流した偽情報などの影響により撤収</span>）<br />　　　・<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a>（<span style="color: #800000;">豊臣五奉行だが、徳川秀忠軍に参加</span>）<br /><br />　　　・北政所（<span style="color: #800000;">史実では大阪城退去後、各武将に東軍への協力を要請</span>）<br /><br />リストには「関ヶ原の戦い」における各武将の史実における動きを記載しています。<br />小西行長、毛利秀元、長宗我部盛親などが出ていたようですが、セリフもなかったし誰が誰やら解らなかったので、とりあえずリストには「名前だけ」と記載しました。<br />とりあえず武将名だけ出しときました、みたいな感じでしょうか･･･？<br /><br />「関ヶ原の戦い」も終わり、次はとうとう石田三成が退場となるようです。<br />そして物語の主人公は、小栗旬から城田優へと･･･？<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第三十七回</span></strong><br /><br />・山形県 山形市<br />・霞城公園（山形城跡）<br />・最上義光騎馬像<br />・専称寺<br />・長谷堂城跡公園</p><br />・<a title="天地人紀行　第三十八回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map38.html" target="_blank">地図を表示する</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第三十七回 「家康への挑戦状」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/967802.html" />
<modified>2009-09-20T13:04:36Z</modified> 
<issued>2009-09-14T11:56:56+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.967802</id> 
<summary type="text/plain">「直江状」の回。 直江兼続を語るなら一番見所となる回ですね。「関ヶ原の戦い」の本戦に至る重要な場面が次々と描かれる回で、歴史的にはかなりポイントとなる話です。オープニングの解説にもあったように、「関ヶ原の戦い」は上杉家が口火を切りました。その点が詳細に描か...</summary> 
<dc:subject>第36回～第40回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/967802.html">
<![CDATA[<p><span style="color: #ff0000;">「直江状」の回</span>。 直江兼続を語るなら一番見所となる回ですね。<br />「関ヶ原の戦い」の本戦に至る<span style="color: #ff0000;">重要な場面が次々と描かれる回</span>で、歴史的にはかなりポイントとなる話です。<br /><br />オープニングの解説にもあったように、「関ヶ原の戦い」は上杉家が口火を切りました。<br />その点が詳細に描かれた今回は、歴史解説としての意味も大きかったのではないでしょうか。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1600年3月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・豊臣秀吉の死から約１年半後。<br />・前田利家の死から１年後。<br />・朝鮮出兵からの撤収が終わって１年後。<br />・「石田三成暗殺未遂事件」から１年後。<br />・前回の終了時（前田家が徳川家康に屈服した時）から約半年後。<br />・帰国した上杉景勝＆直江兼続は徳川家康や伊達政宗に対する防備を開始。<br /></span><br />前回は上杉景勝と直江兼続が京都から会津に帰るところで終わりました。<br />今回は帰ってから、来るべき動乱に備えて城作りや軍備を整えている所からスタートです。<br />前田利長はすでに家康の圧力に屈していて、毛利家は内部が分裂傾向、伊達政宗は徳川家康と親しく、宇喜多家は宗教論争（主君がキリスト教を信仰して家臣が仏教派とキリスト派に分裂した騒動）になっているので、<span style="color: #800080;">大きな問題が起こってなくて徳川家に従っていない大名家は、上杉家のみ</span>といった状況です。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 開始時につくってたお城ってなに？</span></strong><br /><br />会津に帰った上杉家が速攻で作り始めた城で、「<span style="color: #0000ff;">神指城</span>」と言います。<br />担当者（普請奉行）は<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>で、１０万人近い人数を集めてすごい急ピッチで工事が行われています。<br />上杉家の居城であった鶴ヶ城（若松城）の近くに作られたのですが、鶴ヶ城があまり防衛には向いていない城だったため、いざという時に防衛の拠点とするために築かれたものだったようです。<br />情勢が急変したため完全には完成しなかったのですが、<span style="color: #800080;">わずか３ヶ月で本丸と二の丸、土塁や石垣などを築いていた</span>ため、すでに十分な防衛力は整っていたようです。<br /><br />しかしこの時期にすごい勢いで居城の近くに防衛用の城を造り始めたのですから、当然のように徳川家康の元には<span style="color: #ff0000;">「上杉が何か企んでる！」という情報が伝えられる事になります。</span><br />上杉家は軍備も急速に進めていたため、徳川家康は「<span style="color: #800000;">お前ら何やろうとしてんだ！ 謀反でも起こす気か！？ 京都に説明に来い！</span>」という書状を出します。<br />こうして、後の「直江状」と「関ヶ原の戦い」に話が繋がっていくことになります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 「直江状」とは？</span></strong><br /><br /><span style="color: #ff0000;">ドラマ「天地人」最大のポイント、「直江状」。</span><br /><br />徳川家康が「上杉家に謀反の疑いがある！事情を説明しに京都まで来い！」と言う書状を出した際に、<span style="color: #800080;">その返信として直江兼続が書いた書状です。</span><br />その内容はドラマでも非常に詳しく述べられていましたね。<br />もちろん本当はもっと難しい当時の言葉が使われていましたが、ドラマの直江状の内容はすごく解りやすい現代風の文面に直されていて、かつ雰囲気や意味を損なわず丁寧に訳されており、すごく良かったと思います。<br /><br />一応ここでも意味を簡単に説明すると･･･<br /><span style="color: #000080;">「上杉が謀反とか言う噂を真に受けてんじゃねーよ！　この忙しい時にホイホイ京都まで行ける訳ねーだろ！　起請文を出せ？ ハァ？ そんなもんないと信用できねーのかよ。　事情が知りたいならそう言ってる掘に聞けよ。　武士が武器を集めるのも当たり前だろ。 お前みたいな茶器とか集めてチャラチャラしてる奴とは違うんだよ！　噂ごときですぐ心配してガキかテメー。　前田君脅したりして行き辛い雰囲気にしてんのはテメーだろ。　秀頼ちゃんをいじめようなんてバカなこと考えてる訳ねーし、ホントは難癖付けたいだけだろうが！　気がすまねーならカカッテコイヤー！」<br /></span>こんな感じです。（かなり超訳）<br /><br />これを見た徳川家康は「<span style="color: #800000;">こんな無礼な書状、今まで見たことがない！</span>」と言ってすぐに<span style="color: #ff0000;">「上杉討伐」を決意！</span><br />徳川家に従う各地の大名家に招集をかけます！<br /><br />なお、ドラマで家康の横にいる本多正信が「上杉はまんまとこっちの挑発に乗ってまいりました」と言っていましたが･･･<br />この直江状、「<span style="color: #800080;">直江兼続が徳川家康をおびき寄せるために挑発した</span>」という説がある一方で、「<span style="color: #800080;">徳川側も上杉を挑発して事を起こそうとしていた</span>」という説があります。<br />これらの説が本当なら、互いに相手を挑発して、自分の計画通りにしようとしていた事になりますね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 兼続たちの妄想って結局なんだったの？</span></strong><br /><br />直江兼続をはじめ上杉家の面々が徳川家康を撃破する「<span style="color: #800000;">妄想</span>」をしていました。<br />先週の予告シーンが「妄想シーン」だったってのもアレですが･･･ ^^;<br /><br />直江兼続の徳川軍を迎撃しようとしていた「<span style="color: #800080;">革籠原</span>」という場所、周囲をがけで囲まれた<span style="color: #800080;">凹型の地形</span>です。<br />ここに敵を誘い込んで「防塁」で前面を塞ぎ、周辺から襲撃をかけようという計画ですね。<br />先の「神指城」も含め、基本的には「防衛戦」「持久戦」の作戦なのですが、これは<span style="color: #800080;">西側での反徳川派の挙兵を待ちつつ、冬の到来による雪と寒さで大軍を防ごうとした計画</span>だったと言われています。<br /><br />でも、徳川軍は途中で「関ヶ原」方面に反転してしまったので、これは計画だけで終わった訳ですけどね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 初登場「大谷吉継」って誰？</span></strong><br /><br /><span style="color: #800080;"><a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>の親友</span>。 秀吉に「<span style="color: #800080;">百万の軍勢を率いさせてみたい</span>」と言わせた名将。<br />「民衆を愛し、智勇を兼ね、正邪を語り、賢人と呼ばれた人物」とも記されています。<br />しかし「ハンセン病」という<span style="color: #800000;">皮膚がただれて膿が出る病気</span>にかかり、人から避けられた挙げ句、石田三成との友情を重んじて関ヶ原の戦いに身を投じて死んでいった悲劇の武将です。<br />顔中に布を巻いているのは、そのハンセン病の症状のためです。<br /><br />石田三成が自分の褒美と引き替えに秀吉に仕官させた人物で、その頃から石田三成と親交があったようです。<br />元々は豪放磊落（小さな事にはこだわらない豪快で活発な性格）だったと言われており、そのため多くの武将との親交があって、その点で言うと<span style="color: #800080;">石田三成とは正反対の性格</span>だったと言えます。<br /><br />有名なエピソードに、茶会の話があります。<br />ある日、秀吉が多くの武将を誘って茶会を開き、参加者はお茶を回し飲みしていました。<br />しかしその席で大谷吉継は、誤って鼻水（膿だとも言われている）を茶碗に落としてしまいます。<br />それでなくてもハンセン病のせいで人から避けられていましたから、大谷吉継はその茶碗を次の人に回す訳にもいかず困ってしまうのですが、それを見ていた石田三成は「喉が渇いた。早く回せ」と言い、その茶碗を取ってすべて飲み干してしまいます。<br />それを見た大谷吉継は感動し、以後、三成のために命をかけようと誓ったと言われています。<br /><br />しかしこの大谷吉継という人、<span style="color: #800080;">徳川家康とも親交がありました</span>。<br />大谷吉継は徳川家康を「人の気持ちを察するのに優れた天下の大将」と評しており、そのため石田三成から徳川家康打倒の話を聞かされると、<span style="color: #800000;">当初はそれに大反対しています。<br /></span><br />この時、大谷吉継は石田三成に「<span style="color: #800000;">お前には人望がない。恨んでいる人も多い。家康は上の者から下の者まで受けが良い。戦うのは無謀だ</span>」と言って止めています。<br />また後に「<span style="color: #800000;">お前が大将を務めても人は付いてこない。毛利殿か宇喜多殿を総大将にするべきだ</span>」と進言しています。<br />ドラマではこれらのことを石田三成が自分で言っていましたが、<span style="color: #ff0000;">実際には逆です。<br /></span><br />結局、大谷吉継は三成の挙兵に反対しながらも、最後は石田三成と共に戦う事を決意します。<br />徳川家康はそのことを聞いた時、大きくうろたえたと言われています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 石田三成と毛利輝元が妻を人質を取ってたけど･･･<br /></span></strong><br />石田三成は、反徳川家康として挙兵することを決めると、<span style="color: #800080;">各地の武将や大名の妻を「人質」としました。<br /></span>これは<span style="color: #800000;">石田三成の失策と言われている</span>ためか、ドラマではほとんど扱われていませんでしたが･･･　石田三成がここで「人質」を取ったことは、逆に三成への反感を強める結果になったと言われています。<br /><br />特に<span style="color: #800080;">細川忠興</span>という人の妻「<span style="color: #800080;">ガラシャ</span>」は、夫に迷惑がかかるからと自ら死を選び、細川忠興は激怒！<br />石田三成への敵対心をさらに増しており、さらに多くの武将がそれに同情しています。<br />加えて加藤清正や黒田官兵衛など、徳川側の武将の妻子の一部が逃亡しており、当時としては人質を取るのは一般的な事ではありましたが、西軍にとっては<span style="color: #ff0000;">逆効果になったと言われています</span>。<br /><br />なお、ドラマでは毛利輝元が人質についての説明をしていましたが･･･<br />これは石田三成のやった事だという表現を薄めるためだと思われます。<br /><br />また、ドラマで妻の一人（伊達政宗の妻？）が「つまらぬ芝居じゃ」と言っていましたが･･･<br />これの意味するところはよく解りません。<br />おそらく、毛利輝元に対してのセリフだったと思いますが･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ やる気満々の上杉軍が家康にスルーされ、景勝が追撃を止めてたけど、なんで？</span></strong><br /><br />上杉討伐の兵を進めていた<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>でしたが、西側で石田三成が挙兵したことを受けて<span style="color: #800080;">、「小山」という場所で反転します</span>。<br /><br />ここで徳川軍は「<span style="color: #ff0000;">小山評定</span>」と呼ばれる有名な会議を行います。<br />この会議で徳川軍は今後どうするべきかを話し合うのですが、徳川家康は冒頭で「<span style="color: #800000;">妻子を人質に取られて困っている者もいるだろう。 ここで大阪に帰っても構わない。 道中の安全は保証する</span>」と発言しています。<br />それを聞いた<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>が「<span style="color: #800080;">これは秀頼様と戦ういくさではなく、石田三成とのいくさである！ 自分は家康殿と戦う！</span>」と発言、さらに<a title="山内一豊" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#yamanouti" target="_blank">山内一豊</a>と言う人が「<span style="color: #800080;">自分も家康殿にお味方する！ 城を差し出すので自由に使ってくれ！</span>」と言います。<br />そしてこの２つの発言を皮切りにほとんどの武将達が家康への味方を宣言し、こうして俗に言う「<span style="color: #ff0000;">東軍</span>」が形作られます。<br /><br />この「小山評定」は、東軍にとっては「関ヶ原の戦い」の重要な一場面と言えるのですが･･･<br />「天地人」は西軍側のドラマであるためか、ほとんどスルーされていましたね。<br />ドラマでは評定の前に、徳川家康が福島正則に「協力すると発言してくれ」と頼む場面になっていました。<br /><br />そしてこの徳川軍の反転を受けて･･･<br /><span style="color: #800000;">「革籠原」でやる気満々で徳川軍を待ち受けていた上杉軍は、ものの見事に無視されます。<br /></span><br />そしてここでドラマにあったように、<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>が追撃しようと訴えて、<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>に「<span style="color: #800000;">敵の背後を襲うのは上杉の軍法ではない！</span>」と言われ、制止されます。<br />会津の北では伊達家がすでに上杉家への進攻を開始しており、伊達家を抑えるためにその国境にある「白石城」に赴任していた<a title="甘粕景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>も、あっさり敗走して１日で城が落城しています。<br />ここで追撃している余力などなかった、というのもあったようです。<br /><br />しかし後世、「<span style="color: #ff0000;">ここで上杉軍が兼続の言う通りに追撃していたら、歴史は変わっていたかもしれない</span>」ともよく言われています。<br />ドラマで兼続が振り下ろした刀や槍は、西軍勝利の可能性を絶ったことを表しているのかもしれません。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 各武将の現時点の所属<br /><br /></span></strong>　●上杉家（西軍）<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">家康を待ち構えるがスルーされる。追撃を制止</span>）<br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">家康に「直江状」を出して待ち構えるがスルーされる</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（<span style="color: #800000;">史実では米沢城で最上家の情報収集を行っている</span>）<br />　　　・志駄義秀（神指城の築城など）<br />　　　・カラス組（ひさびさに登場）<br />　　・大国実頼（追撃を制止されて怒る）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（<span style="color: #000080;">革籠原で防戦準備していたがスルーされる</span>）<br />　　　　・泉沢久信（久秀の子、会津へ）<br />　　　　・泉沢又次郎（泉沢久秀の子、越後で活動開始？）<br />　　　　・泉沢弥三郎（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">泉沢久秀の子、越後で活動開始？）</span><br /></span>　　　・山岸尚家（防戦準備中）<br />　　　・桜井晴吉（防戦準備中）<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #800000;">白石城で伊達家と戦うが、１日で落城・敗走</span>）<br /><br />　　　・お船（直江兼続の妻、京都に居住、西軍の人質となる）<br />　　　・菊姫（上杉景勝の妻、京都に居住、西軍の人質となる）<br /><br />　●西軍<br />　　○豊臣五奉行<br />　　　・石田三成（<span style="color: #000080;">反徳川家康を訴えて挙兵、関所を封鎖、人質を取るなど</span>）<br />　　　　・島左近（<span style="color: #800000;">史実では色々と家康攻撃を提案してるけど三成が却下</span>）<br />　　　　・大谷吉継（<span style="color: #008000;">初登場、石田三成の挙兵に協力</span>）<br />　　　・浅野長政（<span style="color: #800000;">史実では家康暗殺の容疑で謹慎処分中だが、家康に接近</span>）<br />　　　・増田長盛（<span style="color: #800000;">史実では三成の挙兵を家康に報告</span>）<br />　　　・長束正家（<span style="color: #800000;">史実では家康の暗殺に失敗、三成と関ヶ原の計画を立てる<span style="color: #000000;">）</span><br /></span>　　　・前田玄以（どっちつかずな行動を取っている）<br /><br />　　○五大老と大名<br />　　　・毛利輝元（<span style="color: #000080;">西軍の総大将を務める、大阪城の西の丸に入城</span>）<br />　　　・宇喜多秀家（<span style="color: #000080;">西軍の副大将を務める</span>）<br />　　　・小早川秀秋（<span style="color: #800000;">史実では西軍と東軍の双方に協力を要請されている</span>）<br />　　　・真田昌幸（<span style="color: #800000;">西軍に協力するが、挙兵まで何も聞かされてなかった</span>）<br />　　　　・真田幸村（父と共に防戦準備中。兄は徳川側に参加）<br /><br />　　○豊臣家<br />　　　・豊臣秀頼（豊臣家の跡継ぎ。名目上、石田三成が保護している）<br />　　　・淀（秀頼の母。名目上、石田三成が保護している）<br /><br />　●東軍<br />　　○徳川家<br />　　　・徳川家康（<span style="color: #000080;">上杉討伐の兵を挙げ軍勢を招集</span>）<br />　　　・本多正信<br />　　　・井伊直政（従軍中）<br />　　　・榊原康政（従軍中）<br /><br />　　○武断派<br />　　　・福島正則（<span style="color: #000080;">徳川家康の東軍に参加、対石田三成を訴える</span>）<br />　　　・加藤清正（<span style="color: #800000;">史実では九州で西軍側の諸勢力を牽制している</span>）<br /><br />　　○その他の東軍<br />　　　・伊達政宗（<span style="color: #000080;">上杉家への進攻開始、白石城を落とす</span>）<br />　　　　・片倉景綱（上杉家への進攻を開始、政宗とは別方面）<br />　　　・前田利長（家康に臣従しているため東軍側）<br /><br />　　　・北政所（<span style="color: #800000;">史実では大阪城退去後、各武将に東軍への協力を要請</span>）<br /><br />リストは「東軍」「西軍」で分けました。<br />大谷吉継の付き人として「湯浅五助」が登場していましたが、リストには含めていません。 あと、もう出なさそうな人は何人か削りました。<br />豊臣家は正確には「西軍」と言えないかもしれませんが、とりあえず西軍に含めています。<br />次回はいよいよ、「関ヶ原の戦い」ですね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第三十六回<br /></span></strong><br />・福島県 会津若松市/白河市<br />・神指城跡<br />・白河関跡<br />・小峰城跡<br />・革籠原防塁跡<br /><br />・<a title="天地人紀行　第三十七回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map37.html" target="_blank">地図を表示する</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>第二次 朝鮮出兵 「慶長の役」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/963920.html" />
<modified>2010-03-19T12:43:59Z</modified> 
<issued>2009-09-12T09:50:32+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.963920</id> 
<summary type="text/plain">この記事は「関ヶ原の戦い」の重要なきっかけとなった、二度目の朝鮮出兵「慶長の役」の詳細を記載した「番外編」です。二度目の朝鮮出兵「慶長の役」が起こった経緯については、第三十四回 さらば越後の中で解説しています。一度目の朝鮮出兵の詳細については第三十一回と第...</summary> 
<dc:subject>関連ニュース/番外解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/963920.html">
<![CDATA[<p>この記事は「関ヶ原の戦い」の重要なきっかけとなった、<span style="color: #ff0000;">二度目の朝鮮出兵「慶長の役」</span>の詳細を記載した「番外編」です。<br /><br />二度目の朝鮮出兵「慶長の役」が起こった経緯については、<a title="第三十四回 さらば越後" href="http://tentijin.net/archives/923937.html" target="_blank">第三十四回 さらば越後</a>の中で解説しています。<br />一度目の朝鮮出兵の詳細については<a title="天地人 第三十一回" href="http://tentijin.net/archives/884645.html" target="_blank">第三十一回</a>と<a title="天地人 第三十二回" href="http://tentijin.net/archives/898688.html" target="_blank">第三十二回</a>の中で解説しています。<br /><br /><span style="color: #800000;">日韓関係の影響があるため、ドラマでは省略され、多くの歴史解説でもハショられ気味な朝鮮出兵ですが、「関ヶ原の戦い」に至る武将の確執はこの中で起きました。<br /></span>ここでは主に関ヶ原の戦いに関連した出来事を中心に「慶長の役」を解説しています。<br /><br />なお、文章は歴史の初心者の方にも解りやすいよう、出来るだけ「くだいた感じ」にしているのでご了承を。<br /><br />---------------------<br /><br />一度目の朝鮮出兵（文禄の役）の終了後、日本の交渉担当「<span style="color: #800080;">小西行長</span>」と、明（中国）の交渉担当「<span style="color: #800080;">沈惟敬</span>」の２人が、日本と中国が互いに「ごめんなさい」と言っているように<span style="color: #ff0000;">外交文書を偽装</span>、それが発覚して秀吉が激怒！　再び始まってしまった朝鮮出兵。<br />二度目の朝鮮出兵は「慶長の役」と呼ばれます。<br /><br />1597年の２月、２度目の朝鮮出兵の陣容が発表されます。<br />先陣は外交文書の偽装で切腹を命じられ、この戦いでの汚名返上しないと後がない「<span style="color: #800080;">小西行長</span>」と、１度目の朝鮮出兵で大活躍して朝鮮の２人の王子も捕虜にした「<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>」。<br />水軍は「<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>」や「<a title="加藤嘉明" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#katou" target="_blank">加藤嘉明</a>」といった人が大将を務め、軍監（武将の評価などを行う役目）と補給の担当は「<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>」が行います。<br /><br />他に、のちの関ヶ原の戦いの重要人物となる「<span style="color: #ff0000;">小早川秀秋</span>」、関ヶ原西軍の主力「<span style="color: #800080;">宇喜多秀家</span>」、関ヶ原で毛利軍を率いた「<span style="color: #800080;">毛利秀元</span>」、関ヶ原の戦いで東軍となり石田三成の本陣を攻めた「<span style="color: #800080;">黒田長政</span>」、関ヶ原の戦いで最後に苛烈な突撃を魅せた「<a title="島津義弘" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#simadu" target="_blank">島津義弘</a>」などが参加しています。<br />つまり、関ヶ原の戦いの重要人物がそろっている事になりますね。<br />これは、この「慶長の役」が関ヶ原の戦いに大きく関わっている事も意味します。<br /><br />対する朝鮮＆中国（明）軍も、１度目の朝鮮出兵での苦戦を教訓として、対策を練っていました。<br />朝鮮軍は１度目の戦いで優勢を誇った水軍をさらに強化し、明軍はすぐに朝鮮に急行できるよう体制を整えます。<br />しかし、朝鮮の水軍には、<span style="color: #800000;">肝心なものが抜けていました･･･</span>　１度目の戦いで日本軍に連勝していた水軍の名将「<span style="color: #800080;">李舜臣</span>」です。<br /><br />李舜臣がこの時に失脚していた理由は諸説ありますが、実際のところは度重なる命令違反のためだったようです。<br />李舜臣は日本と中国（明）が停戦した後も、徹底抗戦を訴えていました。<br />そして中国側の制止を無視して日本への襲撃を繰り返し、しかも失敗しまくっていたようです。<br />こんなのがいたら中国にとっては、停戦交渉の邪魔でしかありません。<br />そのため中国からの命令で、失脚してしまったようですね。<br /><br />ただ、<span style="color: #800080;">中国（明）が停戦交渉を初めても、朝鮮側（李氏朝鮮）は抗戦を訴えていました。</span><br />当時の朝鮮は中国の属国でしたから、中国には逆らえなかった訳ですが、李舜臣の行動は朝鮮側の立場を表していたものだったとも言えます。<br /><br />韓国では、李舜臣が失脚したのは同僚の「<span style="color: #800080;">元均</span>」という人に讒言（中傷・告げ口）をされたためだと言われていますが、実際に李舜臣と元均は１度目の朝鮮出兵の頃から仲が悪かったようで、李舜臣の急な出世を妬む者もいたと言われており、これらの影響も大きかったようです。<br /><br /><br />そして1597年の６月、いよいよ日本軍は朝鮮へと出陣！<br /><span style="color: #ff0000;">２度目の朝鮮出兵が始まります！</span><br />すぐに「元均」を総大将とする朝鮮水軍も迎撃を開始、まずは海上での戦いが始まります。<br /><br />この最初の戦い「漆川梁海戦」は、<span style="color: #800080;">終始日本軍が優勢に展開しました。<br /></span>戦いの詳しい内容は記録に残されていないのですが、１度目の朝鮮出兵の時に海戦で苦戦していた日本軍は戦法を改めていたようで、朝鮮水軍は初戦から連敗。<br />朝鮮軍は後退して補給に戻ったところを襲撃され敗走、さらに停泊中の所を水陸の双方から襲撃され、船はほとんど焼き討ちにあい「<span style="color: #ff0000;">全軍壊滅</span>」。<br />日本軍を防ぐため強化されたはずの朝鮮水軍はこの戦いでほとんど消失し、制海権は日本側が確保、朝鮮水軍の大将<span style="color: #800000;">「元均」も戦死</span>します。<br />朝鮮側の記録には敗戦の原因として、「元均が消極的すぎたから」と書かれているようです。<br /><br />朝鮮はあわてて<span style="color: #800080;">「李舜臣」を復帰</span>させますが、もはや彼一人で何とかできるような状況ではありません。<br />上陸した日本軍は１度目の戦いで地の利を得ていたこともあって瞬く間に朝鮮南部を制圧、１度目の戦いで朝鮮軍の最後の砦となった「全羅道（朝鮮半島の南西部）」もあっという間に占領し、<span style="color: #800080;">１度目の戦い以上の快進撃を続けます</span>。<br />明軍も日本軍の再来に備え、各地で防備を固めていたようですが･･･　加藤清正や宇喜多秀家の活躍もあり、ことごとく敗走します。<br /><br /><img class="pict" src="http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/1/a/1ae09e65.png" border="0" alt="慶長の役、前半戦" hspace="5" width="415" height="375" /><br /><br />しかし、<span style="color: #800080;">明（中国）も日本軍の再来があったらすぐに救援できる体制を整えていた</span>ため、報告を受け急いで漢城（ソウル）へと軍勢を向かわせます。<br />このため北上していた黒田長政軍は漢城（ソウル）手前で明の主力と遭遇、一戦交えた後で睨み合いとなり、ここで進軍を停止する事になります。<br /><br />ですが、この睨み合いは長くは続きませんでした。<br />日本軍は１度目の朝鮮出兵の際、調子に乗って進軍しすぎて戦線が広がりすぎ、補給不足に陥った経験があります。<br />そのため今回は朝鮮南部を制圧して安全を確保すると、<span style="color: #800080;">主力は南端まで後退。<br />そしてそこに城を築き、防衛線の構築を始めます。<br /></span>まずは足場固めという訳ですね。 城が完成したら防衛部隊だけを残して、主力は順次帰国する手はずも整えていたようです。<br /><br /><br />しかし朝鮮や中国が、城が出来るのを黙ってみているはずがありません。<br />この年の12月、<span style="color: #ff0000;">中国（明）軍は約５万の大軍を持って進軍、日本軍の上陸ポイントにあった「蔚山城」を攻撃します！<br /></span><br />この報告を受け、<span style="color: #000080;">加藤清正</span>が城に入って指揮を採りますが、多勢に無勢。<br />城にいた日本軍は約１万と記録されていますが、当初はもっと小数だったようです。<br />それでも<span style="color: #000080;">加藤清正</span>は<span style="color: #000080;">浅野幸長</span>などと共に善戦し、明軍を防ぎ続けますが、包囲され兵糧などが尽きて、いよいよ窮地に陥ります。<br />しかし翌年（1598年）の１月、<span style="color: #000080;">毛利秀元</span>や<span style="color: #000080;">宇喜多秀家</span>、<span style="color: #000080;">小早川秀秋</span>などの約１万３千の兵が援軍に到来、「蔚山城」を包囲中の明軍を攻撃します！<br />この戦いで<span style="color: #ff0000;">明軍は大被害を出し敗北</span>、加藤清正も討って出て明軍は敗走を続けます。<br /><br /><img class="pict" src="http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/f/c/fc68063b.png" border="0" alt="慶長の役、中盤戦" hspace="5" width="438" height="375" /><br /><br />そして明＆朝鮮軍は、朝鮮半島の南東端から漢城（ソウル）までの長い道のりを退却をするハメになり･･･　追撃を受けまくって、なんとこの「蔚山城の戦い」で<span style="color: #ff0000;">２万人以上の損害</span>を受けたと言います。<br /><br />当時の合戦は死傷率は多くても約５％、武田信玄と上杉謙信が戦って、もっとも乱戦になったと言われる「第四回・川中島の戦い」でも約10％です。<br />にも関わらずこの時の明＆朝鮮軍は、５万の大軍で戦って、２万の損害が出たのですから･･･　ハチャメチャです。<br /><br />ここまでの損害が出た理由は、日本側は改良された<span style="color: #800080;">鉄砲を主力</span>として用いていましたが、<span style="color: #800000;">明＆朝鮮側は鉄砲に対する知識も備えも不十分だった</span>ためのようです。<br />明軍は鉄砲隊や鉄砲を備えた城にどんどん突っ込んでいき、次々と蜂の巣にされたようです。<br />また、中国軍は広い大陸での戦いで有利な騎兵を主力としていましたが、騎兵は鉄砲射撃に弱く、日本兵が使っていた長槍にも不利で、さらに山がちな朝鮮半島ではその機動力も生かせなかったようです。<br /><br /><br />しかし、日本の大勝利となった<span style="color: #ff0000;">この「蔚山城の戦い」こそが･･･<br />豊臣家の武将達に深刻な亀裂を生み、「関ヶ原の戦い」へと繋がっていく要因</span>となります。<br /><br />「蔚山城の戦い」で主力を務め、何倍もの明の大軍を相手に城を守った<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>や<span style="color: #000080;">浅野幸長</span>ですが、彼らの<span style="color: #800000;">功績はあまり認められませんでした</span>。<br />さらに、彼らを助けるために戦った<span style="color: #000080;">小早川秀秋</span>は、自ら先頭切って戦っていたため「軽率すぎる」と報告され、評価されるどころか<span style="color: #800000;">処罰対象</span>に。<br /><br /><a title="蜂須賀家政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thatisuka-jr" target="_blank">蜂須賀家政</a>という人も加藤清正や浅野長政を救出しますが、「最初は戦ってなかった」「追撃しすぎて戦線を広げすぎ」などと言われ、<span style="color: #800000;">処罰対象</span>になります。<br /><span style="color: #000080;">黒田長政</span>も同様に「消極的だった」と報告され、秀吉から<span style="color: #800000;">処罰されそうになります</span>。<br /><br />毛利家の朝鮮派遣軍の大将だった「<span style="color: #000080;">毛利秀元</span>」の配下「<span style="color: #000080;">吉川広家</span>」も、この戦いでもっとも大きな功績を挙げたのですが、決戦の前の日に抜け駆け的に夜襲を行ったため、同じ毛利軍にいた「<span style="color: #000080;">安国寺恵瓊</span>」という人に「あいつは軍令違反だ」と報告され、<span style="color: #800000;">不穏な状態</span>に。<br /><br />そして、<span style="color: #ff0000;">これらの評価を軍監（武将の評価を行う監督役）として秀吉に行ったのが、石田三成でした。<br /></span>おまけにその石田三成は、<span style="color: #800000;">戦いの現場にいません</span>。<br />これでは石田三成が恨まれるのは･･･　当然と言えますね。<br /><br />後に、「蔚山城」を破棄する方針を<span style="color: #000080;">安国寺恵瓊</span>が固めていて、彼と親密な<span style="color: #000080;">石田三成</span>もその方向で動いていたのですが、<span style="color: #000080;">毛利秀元</span>と<span style="color: #000080;">吉川広家</span>が反対。<br />結局、蔚山城は保持する方向で決まりますが･･･　これも毛利家の中に不穏な空気を呼んだようです。<br /><br />また、朝鮮で戦っていた「<span style="color: #000080;">小西行長</span>」は<span style="color: #ff0000;">石田三成と親密だった</span>ため、三成に様々な報告を行っていたようですが、<span style="color: #ff0000;">小西行長と加藤清正は犬猿の仲</span>。<br />ここにも何かの影響があったかもしれません。<br />「蔚山城の戦い」は<span style="color: #000080;">加藤清正</span>の防戦と、それを他の部隊が救援に行った戦いですからね。<br />朝鮮側の記録には、「小西行長が加藤清正の上陸を密告してきたが、李舜臣は罠かと思い攻撃しなかった」というものもあるようです。<br /><br />そもそも、<span style="color: #800000;">加藤清正と石田三成の対立は、一度目の朝鮮出兵（文禄の役）の時から始まっていました。</span><br />連戦連勝でガンガン進みまくる<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>に対し、<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>は「進みすぎるな」となんども制止。<br />活躍しているのに引き留められ、戦果を認めてくれない石田三成に加藤清正は不満を持ち、石田三成としては補給を担当していたため、やたらめったら進みまくる清正軍に「かんべんしてくれ」という気持ちになっていたようです。<br />停戦交渉の際も、すぐに朝鮮から全軍撤収しようとする石田三成と小西行長に対し、加藤清正は「交渉を有利に進めるためにも主力は残して攻勢を継続すべきだ」と主張、<span style="color: #800000;">意見が完全に対立</span>しています。<br /><br /><br />なお、やや余談ですが･･･<br />この二度目の朝鮮出兵では、日本軍の行った暴虐な行為として「朝鮮の人々の耳や鼻をそぎ取った」と伝えられています。<br />これは、日本まで海を越えて首を持って帰るのは手間がかかるため、手っ取り早く鼻で戦功の検分（討ち取った敵の評価）を行い、そのまま現地での検分も鼻で行ったというのが実情だったようです。<br /><br />朝鮮では「<span style="color: #800000;">罪もない女子供の耳や鼻まで取った</span>」と言われていますが、確かに鼻だけだと誰のものだか解らないので、そういう例があったかもしれません。<br />しかし、それは「手柄の虚偽申告」ですからバレれば重罪であり、そう言う例が多かったとは思えません。<br />また、２度目の朝鮮出兵では<span style="color: #800000;">地元の民衆が「民兵」として多数徴兵されていた</span>ため、そうした民兵の被害を「民衆の被害」に含めている可能性が高いようです。<br /><br />なお、こうしてそぎ取られた鼻や耳を集めた「耳塚」が朝鮮各地に作られていますが、<span style="color: #800000;">前述したようにこれは本当は「鼻塚」です</span>。<br />なぜ「耳」になってしまったのかは不明ですが、朝鮮軍や中国軍は討ち取った敵兵の耳を切り取って戦功の検分を行っていたので、それと混同されてしまったようです。<br />朝鮮側は「日本軍が耳も取った」と伝えていますが、日本は鼻で検分を行っていたため耳を取る必要はなく、この点は本当は不明です。<br /><br /><br />さて、「蔚山城の戦い」で大被害を受けた中国（明）ですが･･･<br />これでへこたれた訳ではなく、むしろ危機感を覚えたようです。<br /><br /><span style="color: #ff0000;">大損害の報告を受けた明はさらに大兵力の動員を開始</span>、加えて日本が城で守っているという報告を聞き、多数の攻城兵器の準備も開始します。<br /><br />一方の日本側は、<span style="color: #800080;">さらに城の守りを固め、兵糧や武器なども増やしていきます。<br /></span>これは、翌年に大攻勢をかけるための準備だったようで、そのためか主力の一部は翌年の再出兵に備えて、一旦帰国しています。<br />（そして小早川秀秋や黒田長政などは、帰国して褒めて貰えるのかと思ったら石田三成の報告で逆に秀吉に怒られて処罰されそうになり、不満を持つことになります）<br /><br />しかし、状況が変わります。 その年の５月から秀吉の病状が悪化。<br /><span style="color: #ff0000;">そして８月･･･　ついに豊臣秀吉が病死したのです。</span><br /><br />ですが士気に影響するため、その死は朝鮮にいる日本軍には伝えられませんでした。<br />と言うのも、大攻勢の準備を整えた<span style="color: #ff0000;">明＋朝鮮軍の総勢１０万以上の大軍が、出陣を開始</span>したからです！<br />９月、ついに明軍は部隊を３つに分け、約３～４万ずつの大軍で日本が朝鮮南部に築城した３つの城に同時に攻勢をかけます！<br />まさに<span style="color: #ff0000;">明の総力を挙げた攻撃</span>だったと言えます。<br /><br /><img class="pict" src="http://image.blog.livedoor.jp/kamuraitao/imgs/d/c/dc1b565e.png" border="0" alt="慶長の役、後半戦" hspace="5" width="422" height="375" /><br /><br />しかし、この戦いはまたも<span style="color: #800080;">日本軍側が圧勝</span>することになります。<br /><br />南東部の「<span style="color: #800080;">蔚山城</span>」では<span style="color: #000080;">加藤清正</span>が、堅く守りを固めていました。<br />半年前に窮地に陥った時はまだ城が未完成でしたが、<span style="color: #800080;">今回は城も完成して守りも完璧。<br /></span>明＋朝鮮軍は何度も攻撃を行いますが、まったく落ちる気配が無く、鉄砲で撃たれまくり損害ばかりが増していったようです。<br />加藤清正が出てくる気配もなかったため、城が落ちる目処が立たず、攻勢は失敗します。<br /><br />南中央部の「<span style="color: #800080;">泗川城</span>」では<a title="島津義弘" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#simadu" target="_blank">島津義弘</a>が守っていました。<br />総勢二十万と号された明軍（実際は４万前後だったと思われます）が城を包囲しようとしますが、<span style="color: #800080;">島津軍の奇襲で兵糧庫を焼き討ちされ、長期戦が出来ない状態に</span>。<br />そのため城に強襲をかけますが、約７千の島津軍は多数の鉄砲や地雷・火砲などで武装しており、さらに得意の「釣り野伏せ（伏兵を使った島津軍の得意技）」で明軍に<span style="color: #ff0000;">３万以上</span>（中国側の資料では８万人）の大損害を与えて撃退します。<br />この時、明軍は「溶けるように消えていった」との事で、これ以後、島津義弘は「<span style="color: #000080;">鬼石蔓子（鬼シマヅ）</span>」と呼ばれ恐れられることになります。<br /><br />南西部の「<span style="color: #800080;">順天城（順天倭城）</span>」では、１万３千の兵で<span style="color: #000080;">小西行長</span>が守っていました。<br />対する明＋朝鮮軍は陸から約２万５千、海からも水軍の約２万５千で攻撃を行います。<br />ここでは海からの砲撃に加えて、陸からは多数の攻城兵器（雲梯と呼ばれるはしご車や、飛楼と呼ばれる移動式やぐらなど）を使っての攻撃が行われましたが、日本軍の鉄砲射撃と焼き討ちによって攻城兵器はことごとく燃やされ、<span style="color: #800080;">陸の明軍は被害を増すばかり</span>となります。<br />そして「泗川城」で島津軍により明＋朝鮮軍が大敗したこと、被害が増え続けて陸からの攻撃が成功する目処が立たなかったことがあり、ついに攻勢を断念します。<br /><br />ただ、<span style="color: #800080;">朝鮮水軍はそのまま順天倭城の近くの拠点まで撤退</span>したため、これが後に小西行長を危機に落とす事になります。<br />なお、この戦いの前、和平交渉を持ちかけられた小西行長がそれに応じようとして出て行き、逆に襲撃されて生け捕りにされそうになって、命からがら逃げたという一幕があったようです。<br /><br />明＋朝鮮軍の10万以上の大攻勢が全て失敗に終わった報告を聞き、<span style="color: #800080;">日本側はこれを撤退のチャンスと判断。<br /></span>すでに秀吉が死んで撤収の方針は決まっており、そのタイミングを見計らっていた時だったため、石田三成は朝鮮にいる日本軍に撤退を伝えて、その準備にかかります。<br />しかし、勝ったはずの日本軍が急に撤退の準備をしているのを見て、朝鮮側も秀吉が死んだことを突き止めます。<br /><br />陸の朝鮮側にはもはや追撃の余力はなかったため、撤退はほぼスムーズに進むのですが、戦力が健在の<span style="color: #800080;">李舜臣が率いる朝鮮水軍は撤退の阻止に動き、順天倭城が封鎖され、小西行長は撤退できず窮地に陥ります</span>。<br />しかし小西行長のピンチを聞いて、島津義弘が島津家の艦隊を率いて救援に向かいます！<br /><br />そして、日本と明・朝鮮の水軍が最後に真正面からぶつかった、最後の戦いが起こります。<br />この海戦で日本の水軍は大きな損害を被り、<span style="color: #800000;">特に島津家の艦隊の損害は大きく、島津義弘の旗艦も窮地に陥ります。<br /></span>しかしこれによって小西行長は封鎖を解かれ、小西軍は脱出に成功。<br />また、この戦いで朝鮮の<span style="color: #ff0000;">「李舜臣」が戦死</span>し、明の将軍も多く戦死したため、明＋朝鮮軍は最後に勝利したものの以後の追撃はほとんどなくなり、<span style="color: #ff0000;">二度目の朝鮮出兵はこれで終結となりました。<br /></span><br /><br />最後に<span style="color: #333399;">島津義弘</span>が<span style="color: #000080;">小西行長</span>を助けた事は、「関ヶ原の戦い」における<span style="color: #000080;">島津義弘</span>の西軍入りに関係しているかもしれません･･･？<br />ただ、この戦いで大きな被害を受けた島津家は、長い朝鮮出兵で遠征費がかかっていた事もあり、財政的に困窮します。<br /><span style="color: #800080;">その困窮を助けたのが徳川家康</span>であり、この時に家康は「何かがあったら協力して欲しい」と義弘に頼んでいました。<br />これらは、「関ヶ原の戦い」における島津家の行動に関係しているかもしれません。<br /><br />二度目の朝鮮出兵「慶長の役」の撤収が完全に終わったのが翌年（1599年）の１月です。<br />そして、石田三成が朝鮮出兵に参加していた多くの武将に命を狙われる「石田三成暗殺未遂事件」が起こるのは、<span style="color: #800080;">その三ヶ月後である1599年３月。</span><br />タイミングとしては、ちょうど「起こりそうな時期」ですね。<br /><br />そして<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>や<span style="color: #000080;">小西行長</span>が中心となる「<span style="color: #ff0000;">文治派</span>」と、<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>や<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>などが中心となる「<span style="color: #ff0000;">武断派</span>」の２派で豊臣家が分裂します。<br /><span style="color: #000080;">黒田長政、浅野幸長</span>らは武断派として<span style="color: #000080;">石田三成</span>の暗殺未遂にも荷担。<br />毛利家は<span style="color: #000080;">安国寺恵瓊</span>が<span style="color: #000080;">石田三成</span>と今後の相談をしていますが、<span style="color: #000080;">吉川広家</span>は逆に反石田三成派となり、<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>に接近します。<br />そして<span style="color: #000080;">小早川秀秋</span>は、<span style="color: #000080;">石田三成</span>の報告で処罰されそうになるところを、<span style="color: #000080;">徳川家康</span>の口添えで助けて貰っています。<br /><br />水軍を担当した<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a>や<a title="加藤嘉明" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#katou" target="_blank">加藤嘉明</a>といった人は、初戦で朝鮮水軍を壊滅させた功績で恩賞を貰っていますが、その彼らも後に石田三成の襲撃に荷担しています。<br />現場にいた彼らの目から見ても、やはり石田三成の行った武将達の評価は、おかしかったのかもしれません。<br /><br />そして時代は、「関ヶ原の戦い」へと向かっていく事になります･･･<br />　</p>]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第三十六回 「史上最大の密約」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/955811.html" />
<modified>2009-09-10T07:04:30Z</modified> 
<issued>2009-09-07T21:48:49+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.955811</id> 
<summary type="text/plain">石田三成がヒゲを剃って髪も生えて小栗旬になってた回。そして歴史が大きく動き、重要なエピソードが立て続けに起こる回です。「石田三成暗殺未遂事件」「上杉家と徳川家の対立の構図」「石田三成の謹慎」などが起きて、つまり「関ヶ原の戦い」への過程が描かれていたと言え...</summary> 
<dc:subject>第36回～第40回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/955811.html">
<![CDATA[<p>石田三成がヒゲを剃って髪も生えて小栗旬になってた回。<br />そして歴史が大きく動き、重要なエピソードが立て続けに起こる回です。<br />「<span style="color: #ff0000;">石田三成暗殺未遂事件</span>」「<span style="color: #ff0000;">上杉家と徳川家の対立の構図</span>」「<span style="color: #ff0000;">石田三成の謹慎</span>」などが起きて、つまり「関ヶ原の戦い」への過程が描かれていたと言えますね。<br />いよいよ物語は<span style="color: #ff0000;">クライマックス</span>に入っていくと言えます。<br /><span style="color: #800000;">（※私用で更新時間が遅れました。すみません。&lt;(_ _)&gt;）</span><br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1599年3月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">・前田利家が病死した頃。<br />・豊臣秀吉が死んで約半年後。<br />・朝鮮出兵が完全に終わった約３ヶ月後<br />・つまり前回の終了直後。</span><br /><br />時期的にも前回の続きです。<br />情勢が「関ヶ原の戦い」に向けて急速に動いていく、その始まりの時期。<br />朝鮮出兵と秀吉の死によって豊臣家の<span style="color: #800080;">文治派（官僚）</span>と<span style="color: #800080;">武断派（武将）</span>の<span style="color: #ff0000;">対立が激化</span>、その抑え役だった前田利家が病死してタガが外れ、いよいよ大きな戦いへと動いていく事になります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 福島正則が石田三成を襲撃しようとしてたけど、なんで？</span></strong><br /><br /><span style="color: #800080;">福島正則</span>や<span style="color: #800080;">加藤清正</span>らが<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>の屋敷に討ち入りしようとした「<span style="color: #ff0000;">石田三成暗殺未遂事件</span>」。<br />福島正則（石原良純さん）の横にいたのは、加藤清正のようですね。<br />結果的にはこの襲撃が、<span style="color: #ff0000;">豊臣家の家臣団の分裂を決定的にし</span>、「関ヶ原の戦い」を誘発することになります。<br /><br />ドラマではあまり複線が語られていなかったため、やや唐突な出来事になっていましたが、<span style="color: #800080;">石田三成</span>と<span style="color: #800080;">福島正則＆加藤清正</span>は「朝鮮出兵」の際に<span style="color: #800000;">非常に険悪な仲</span>になっていました。<br />さらに石田三成を嫌っていた者は多かったため、さらに<span style="color: #800080;">黒田長政、細川忠興、加藤嘉明</span>などの名将達に加え、<span style="color: #800080;">浅野幸長、池田輝政</span>らも荷担、これら７名で石田三成の屋敷への討ち入りが行われたといいます。<br />資料によっては、<span style="color: #800080;">蜂須賀家政</span>や<span style="color: #800080;">藤堂高虎</span>と言った人の名前も見えるので、実際には主要な７人だけでなく、もっと多くの人物がこの襲撃事件に関与していたと思われます。<br />当時の石田三成が、それだけ多くの人に嫌われていたという事ですね。<br /><br />それぞれの人物に関しての簡単なプロフィールと、三成との仲が険悪になった要因は以下です。<br /><br />・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a><br />おそらく石田三成襲撃事件の首謀者。<br />朝鮮出兵での作戦計画や外交交渉の方針で石田三成とことごとく意見が対立し、関係が悪化。<br />石田三成と仲の良かった<span style="color: #800080;">小西行長</span>とも犬猿の仲。<br />・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a><br />朝鮮出兵で石田三成と対立していたと言われている。加藤清正とは長年の付き合い。<br />石田三成襲撃事件の首謀者の一人とされ、北条攻めの頃から三成の悪口を言っていたようだ。<br />・<span style="color: #000080;">細川忠興</span><br />名将「<a title="細川藤孝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asikagaSS/index.htm#Hhuzitaka" target="_blank">細川藤孝</a>」の子。<a title="明智光秀" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#aketi" target="_blank">明智光秀</a>の娘「<a title="ガラシャ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#garasya" target="_blank">ガラシャ</a>」を妻としていたことで有名。<br />一度目の朝鮮出兵で、城の攻略失敗を石田三成により秀吉に報告されていて、それで恨みを持っていたと言われている。 「天下一短気」だったらしい。<br />・<span style="color: #000080;">黒田長政</span><br />秀吉の軍師「<span style="color: #800080;">黒田官兵衛（孝高・如水）</span>」の子。<br />朝鮮出兵で攻勢に失敗したり、二度目の朝鮮出兵で「動きが消極的すぎる」と報告されたりして秀吉に怒られているため、その評価・報告を行った石田三成に恨みがあったと思われる。<br />・<a title="加藤嘉明" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#katou" target="_blank">加藤嘉明</a><br />加藤清正や福島正則の同僚。 「何をやらせてもうまい」と評された人物。<br />朝鮮出兵では水軍を担当していたため、一度目の出兵の際に韓国の「李舜臣」に連敗してしまった。<br />そのため、その報告を行った三成には良い思いを抱いていなかっただろう。<br />・<span style="color: #000080;">浅野幸長</span><br />父は豊臣五奉行の<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a>。 加藤清正や福島正則と並ぶ「武断派」の代表。<br />豊臣秀次の事件で失脚しそうになり、<a title="前田利家" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#tosiie" target="_blank">前田利家</a>と<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>に助けて貰った過去を持つ。<br />二度目の朝鮮出兵で加藤清正と共に篭城戦を行い、窮地に陥ったところを蜂須賀家政に助けて貰うが、この篭城戦を三成に評価して貰えなかったため恨みがあったという。<br />・<span style="color: #000080;">池田輝政</span><br />織田家の重臣「<a title="池田恒興" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#ikeda" target="_blank">池田恒興</a>」の子。 妻は徳川家康の娘。<br />具体的に三成に恨みを持つような出来事はないが、朝鮮出兵で共に戦った福島正則や加藤清正とは仲が良かったという。<br />・<a title="蜂須賀家政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thatisuka-jr" target="_blank">蜂須賀家政</a><br />秀吉の片腕「<a title="蜂須賀正勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#hatisuka" target="_blank">蜂須賀小六（正勝）</a>」の子。 一度目の朝鮮出兵では福島正則と転戦している。<br />二度目の朝鮮出兵で加藤清正への援軍と、浅野幸長の救出を行うが、「戦線を拡大しすぎる」と石田三成に報告され、逆に処罰された。 このことで恨みがあったという。<br />・<a title="藤堂高虎" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/asaiSS/index.htm#to-do-" target="_blank">藤堂高虎</a><br />後の徳川家康のブレイン。 朝鮮出兵では水軍を担当している。<br />石田三成に直接恨みを持つような出来事は不明だが、朝鮮出兵での水軍担当であるため、１度目の朝鮮出兵で李舜臣に苦戦しており、それを三成に報告されている可能性もある。<br /><br />要するに、多くの武将は「朝鮮出兵」の中で、石田三成との対立を深めています。<br /><span style="color: #800000;">（だから本当は、この事件の前に二度目の朝鮮出兵（慶長の役）の概要の記事を公開したかったのですが･･･　先週は色々あって忙しく、手が付けられませんでした。　二度目の朝鮮出兵の詳細はまた後日記載したいと思います）<br /></span><br />彼らに襲撃された<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>は、一般にはドラマで描かれたように「<span style="color: #800080;">徳川家康の屋敷に逃げ込んだ</span>」と言われています。<br />これは「武断派を抑えられるのは彼らの支持者であった徳川家康だけだから」と言う判断だったためのようですが、かなり危険な賭けであったことも確かです。<br /><br />結果としては、徳川家康が武断派を説得して事態の収拾に当たり、襲撃した武断派が石田三成の身柄引き渡しを要求したため、徳川家康は三成を蟄居（謹慎処分）にすることで手を打たせます。<br />こうして、<span style="color: #800080;">石田三成は自分の城「佐和山城」で謹慎</span>となってしまい、政治の舞台から遠のきました。<br />そしてこの事件でますます徳川家康の影響力は強まり、<span style="color: #800080;">事実上、これで豊臣家の政務は家康が一手に握ることになります。<br /></span><br />なお、最近は「三成は家康の屋敷には逃げ込んでいない」という説の方が有力になっています。<br />この説では京都の「伏見城」という城に逃げ込んで、家康の子である「結城秀康」に事態の収拾を依頼した、とされています。<br />しかし私は「新説＝真説」とする事と、「ドラマチックな出来事＝全部ウソ」と言う考えは危険だと思っているため、ここでは「両方の説」があるとだけ言っておきます。<br /><br />いずれにせよ、<span style="color: #ff0000;">徳川家康が事態を収拾して影響力を拡大し、石田三成は失脚した</span>ことに違いはありません。<br /><br />ドラマでは、この事件は「徳川家康が黒幕だ」という表現になっていた気がしますが、実際に「家康が黒幕だった」という説は（陰謀論以外には）ありません。<br />単なる「武断派の暴走」であったというのが有力です。<br />ただ、前田利家の死後、すぐにこの事件が発生していますから、武断派の武将達に「<span style="color: #800080;">利家が亡くなったら三成を何とかしよう</span>」という計画は以前からあったと思われます。<br /><br />加藤清正や福島正則にとっては、徳川家康よりも石田三成の方が、「豊臣家の問題点」であったようですね。<br />結果としてはそれが、豊臣家を衰退させる事になるのですが･･･<br /><br /><br /><span style="color: #ff00ff;"><strong>○ 前田利長が徳川家康の闇討ちを企ててるって言ってたけど、そうなの？</strong></span><br /><br />「<span style="color: #800000;">石田三成 暗殺未遂事件</span>」の次は、「<span style="color: #800000;">徳川家康 暗殺未遂事件</span>」。<br />ドラマではセリフと終盤の一場面だけで終わっていましたが、今度は徳川家康が、五大老の「<span style="color: #800080;">前田利長</span>」や五奉行の「<span style="color: #800080;">浅野長政</span>」に闇討ちされる･･･　という噂が立ちます。<br />ただ、これは噂だけで、<span style="color: #800000;">実際に実行された訳ではありません</span>。<br />そのため「徳川家康サイドの陰謀だ」と言われることも多く、真相は不明です。<br /><br />いずれにせよこの噂を理由に、徳川家康は前田家への攻撃（名目は征伐）を宣言！<br />前田家は大モメになりますが、前田利長の母で前田利家の妻「<span style="color: #800080;">まつ（芳春院）</span>」 が和平を主張、自ら人質になって謝罪することで、このピンチを乗り切ります。<br />しかしこれによって<span style="color: #ff0000;">前田家は事実上、徳川家に臣従</span>。<br />五奉行の浅野長政も失脚し、ますます徳川家康の権威が強まる結果となります。<br />浅野長政はこの事件の後は徳川側に協力しているため、すでにこの時に家康に荷担していたという説もあります。<br />また、<span style="color: #800080;">五大老が五大老に征伐を宣言した</span>ことで、事実上、五大老制は崩壊したと言えます。<br /><br />ドラマではその後、徳川家康が上杉景勝に「国に帰れ」と言い、上杉景勝が「帰れと言うなら帰る！」と言っていましたが･･･　これらは、後の布石のようですね。<br />ちなみに先の前田利長も、家康に「そろそろ国に帰ったら？」と言われ、「じゃあ帰ろーっと」と言って帰ったら、いない間に家康から「おまえ闇討ちしようとしてただろ！ 秀頼に変わってお仕置きだ！」と言われたという経緯があります。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 直江兼続が徳川家康打倒の計画を話してたけど･･･　兼続が考えたの？</span></strong><br /><br />もちろん本当は、直江兼続が考えたものではありません。<br />しかし、<span style="color: #800080;">直江兼続と石田三成が事前に計画を立てていた、という説は確かに存在します。<br /></span><br />やや先の話になりますが、直江兼続は徳川家康から謀反（反逆）の疑いをかけられた時、挑発的な返信「<span style="color: #ff0000;">直江状</span>」を出します。<br />これを受けて徳川家康は上杉家の討伐を宣言し出陣することになるのですが、これは<span style="color: #800080;">直江兼続が石田三成と事前に計画を立てていて、家康をおびき出したんだ</span>、という説が存在します。<br /><br />この説はあくまで異説の１つに過ぎないのですが、ドラマではこの説をそのまま採用しているようで、直江兼続が主人公のドラマであることを考えると、当然の流れとも言えます。<br /><br />そして物語は、関ヶ原の本戦へと続いていくことになります･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ ちょこっと解説</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;"><strong>・やたら質素な三成の城（佐和山城）</strong></span><br /><br />直江兼続が石田三成の城に入り、質素な内装を見て「驚いた･･･　これほどの清貧ぶりとは」と言う場面があります。<br />これは「関ヶ原の戦い」の後の話になるのですが、石田三成は普段から多くの中傷を受けていて、その中に「石田三成が私腹を肥やしていて、佐和山城の中は財宝で埋め尽くされている」というものがありました。<br />そのため関ヶ原の戦いの後、<span style="color: #800080;">佐和山城に攻め込んだ兵士達は財宝目当てに城内に殺到したのですが、中は逆にすごく質素で驚いた</span>、というエピソードがあります。<br /><br /><strong><span style="color: #000080;">・西の丸に入った徳川家康が北政所に目配せしていたシーン</span><br /></strong><br />意外にもドラマでは、あまり描かれていないのですが･･･<br />豊臣家の内部分裂には、<span style="color: #000080;">淀</span>と<a title="ねね" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#nene" target="_blank">ねね（北政所）</a>の対立も関連していると言われています。<br /><br />実際に両者がどの程度対立していたのかは諸説あるのですが、少なくとも良い関係だった訳ではなく、豊臣秀頼が跡継ぎとなってその母である淀の権力も強まると、<span style="color: #800000;">北政所は大阪城の「西の丸」に退去</span>しています。<br />さらに1599年の正月、つまり今回の事件の３ヶ月前、秀吉の遺言によって豊臣秀頼が大阪城に入り、淀は「西の丸」に移住。<br />これにより<span style="color: #800000;">北政所はさらに大阪城からも退去</span>する事になり、京都に移ります。<br />（実際には淀は西の丸に住まなかったので、西の丸は空）<br />それは秀吉の遺言による移転ではありましたが、北政所がどんどん追いやられているという状況でもありました。<br /><br />石田三成襲撃事件を起こした加藤清正や福島正則などの多くの武将は、<span style="color: #800080;">ねね（北政所）が面倒を見てきた武将</span>であり、彼らの母代わりでもありました。<br />一方、<span style="color: #800080;">石田三成は豊臣秀頼＆淀を保護する立場</span>にあります。<br />淀の権力が強まって、北政所が大阪城から追い出された（ように見えた）事は、加藤清正や福島正則にとっては見逃せない問題であり、石田三成襲撃事件の一因になったと言われています。<br /><br />なお、大阪城の西の丸には、その後に徳川家康が入ります。<br />西の丸はちょうど空いていたので、それで入ったというのもあるのですが･･･　「勝手な居城の移動」は規約違反であり、すでに家康の行動が制限できなくなっていたことも伺えます。<br /><br />ドラマでは西の丸に北政所がいて、家康を出迎えていましたが、実際には北政所はすでに京都にいるので、この点はドラマでのフィクションですね。<br /><strong><span style="color: #ff00ff;"><br /><br />○ 各武将の現時点の所属<br /></span></strong><br />　●上杉家<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">カエレと言われたから帰る</span><span style="color: #000080;">）</span><br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">景勝と一緒に会津帰還、防戦の準備を開始</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（米沢城の留守役）<br />　　　・志駄義秀（会津で政務中）<br />　　　・一志大夫<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">会津の鴫山城（南山城）の城主</span>）<br />　　　・小国重頼（隠居）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（会津で政務中）<br />　　　　・泉沢久信（久秀の子、会津へ）<br />　　　　・泉沢又次郎（泉沢久秀の子、越後に残る）<br />　　　　・泉沢弥三郎（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">泉沢久秀の子、越後に残る）</span><br /></span>　　　・山岸尚家<br />　　　・桜井晴吉<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（会津の白石城の城主）<br /><br /><br />●豊臣家<br />　・豊臣秀頼（<span style="color: #000080;">秀吉の死により豊臣家を継ぎ、大阪城に入城</span>）<br />　・淀（<span style="color: #000080;">秀頼の母。大阪城に住居を移す</span>）<br /><br />　○豊臣五奉行 / 文治派<br />　　・石田三成（<span style="color: #000080;">暗殺されそうになり騒動発生、謹慎処分中</span>）<br />　　　・島左近<br />　　・浅野長政（<span style="color: #800000;">史実では家康暗殺の噂で失脚</span>）<br />　　・増田長盛<br />　　・長束家正<br />　　・前田玄以<br /><br />　○豊臣家重臣 / 武断派<br />　　・福島正則（<span style="color: #000080;">石田三成の暗殺未遂を起こす</span>）<br />　　・加藤清正（<span style="color: #000080;">石田三成の暗殺未遂を起こす</span>）<br /><br />　○五大老（上杉家以外）<br />　　・毛利輝元（<span style="color: #000080;">文治派</span>）<br />　　・宇喜多秀家（<span style="color: #000080;">文治派</span>）<br />　　・前田利長（<span style="color: #000080;">家康暗殺の噂を立てられ、攻められそうになり家康に臣従</span>）<br /><br />　　・徳川家康（<span style="color: #000080;">武断派に頼られ三成暗殺未遂事件を収拾、大阪城に入る</span>）<br />　　　・本多正信<br />　　　・井伊直政<br />　　　・榊原康政<br /><br />●他の大名家<br /><br />　・小早川秀秋（<span style="color: #800000;">史実では朝鮮出兵での行動を三成から非難されている</span>）<br />　・伊達政宗（徳川家康に接近中）<br />　　・片倉景綱<br />　・真田昌幸（まだ何にも知らない）<br />　　・真田幸村<br />　　・猿飛佐助<br /><br />●その他<br /><br />　・北政所（<span style="color: #800000;">淀の大阪城入城に伴い、大阪城を退去、京都に移住</span>）<br /><br />　・お船（直江兼続の妻、京都に居住）<br />　・菊姫（上杉景勝の妻、京都に居住）<br /><br /><br />豊臣家が分裂したため、<span style="color: #800080;">武断派</span>と<span style="color: #800080;">文治派</span>で分けました。<br />次第に、「東軍」と「西軍」が形作られていくことになりますので、分類も毎回変わっていくと思います。<br /><br />ところで、佐和山城で石田三成がわらじを編んでるシーン。<br />たしか「この蟄居中に石田三成が兵士のためのわらじを編んでいる」というのは、元ネタがあった気がします。<br />ただ、どうにもうろ覚えで、思い出せない･･･　何かで見た記憶があるんだけど･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第三十六回</span></strong><br /><br />・福島県 会津若松市/南会津町<br />・若松城跡<br />・七日町通り<br />・直江兼続屋敷跡<br />・鴫山城跡<br /><br />・<a title="天地人紀行　第三十六回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map36.html" target="_blank">地図を表示する</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>

<entry>
<title>天地人 第三十五回 「家康の陰謀」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://tentijin.net/archives/936509.html" />
<modified>2009-09-03T16:26:08Z</modified> 
<issued>2009-08-31T18:40:36+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kamuraitao.936509</id> 
<summary type="text/plain">豊臣秀吉の最期が描かれる回。 前田利家も今回で退場です。徳川家康は頭のヘンなコブをあらわにして暗黒面が覚醒。いよいよ「対立の構図」が表面化し始めていますね。ちょっと私的に残念なのは、やっぱり「善玉と悪役」の時代劇になっちゃうんだなぁ、と言うこと･･･まあ、こ...</summary> 
<dc:subject>第31回～第35回の解説</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://tentijin.net/archives/936509.html">
<![CDATA[<p><span style="color: #ff0000;">豊臣秀吉の最期が描かれる回</span>。 前田利家も今回で退場です。<br />徳川家康は頭のヘンなコブをあらわにして暗黒面が覚醒。<br />いよいよ「<span style="color: #800000;">対立の構図</span>」が表面化し始めていますね。<br /><br />ちょっと私的に残念なのは、やっぱり「善玉と悪役」の時代劇になっちゃうんだなぁ、と言うこと･･･<br />まあ、これはあくまで私的な感想です･･･　話としては解りやすい方が、テレビドラマとしてはいいでしょうからね。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 今回の時期 1598年3月 ってどんな頃？</span></strong><br /><br /><span style="color: #000080;">　・上杉家が会津へ移転して間もない頃<br />　・つまり前回の終了直後<br />　・二度目の朝鮮出兵（慶長の役）が行われている最中</span><br /><br />歴史的には「<span style="color: #800080;">二度目の朝鮮出兵の最中</span>」として説明される頃です。<br />前回が「上杉家の国替え」だけで終わったので説明がありませんでしたが、豊臣秀吉と淀の子「拾」は関白に就任し、豊臣家の跡継ぎ「<span style="color: #ff0000;">豊臣秀頼</span>」となっています。 でもまだ５歳。<br />これにより「淀」の立場はさらに強化されています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 徳川家康がヘンな噂を広めてるとか言ってたけど、そうなの？</span></strong><br /><br />ドラマの中で兼続の弟「大国実頼」が、<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>が「<span style="color: #800000;">伊達家との法度破りの婚儀を進めたり、上杉に根も葉もなき悪口を吹き込んだりしておると･･･</span>」と語っていました。<br /><br />この「法度破りの婚儀」は、後の<span style="color: #ff0000;">「関ヶ原の戦い」の要因の１つ</span>となります。<br />ちょっと難しいセリフ回しですが、要するに「制度を無視して勝手に大名家の結婚の話を進めている」という事ですね。<br /><br />当時の大名家の親族同士の結婚は、そのまま両国の「外交」や「同盟」に繋がりました。<br />ですからそうした重要な婚姻が行われる際には、「会議を通して賛同を得なければならない」というような規則が作られていたのです。<br />この会議のメンバーは、<a title="第三十三回" href="http://tentijin.net/archives/911114.html" target="_blank">第三十三回</a>で出てきた「五大老」「五奉行」の事ですね。<br /><br />しかし徳川家康は、自分が「五大老」のメンバーであるため、<span style="color: #800000;">自己判断のみで勝手に婚姻の話を進めてしまいます。</span> これはルール無視もいいところ。<br />そのため、<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>や<a title="前田利家" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#tosiie" target="_blank">前田利家</a>はこれに異論を唱えます。<br /><br />ただ、こうした婚姻の話は、それを受ける側にとっては嬉しい話です。<br />それにいちいち五大老や五奉行の会議を通していたのでは、ラチがあきません。<br />こうして<span style="color: #800080;">徳川家康派</span>と、それに対する<span style="color: #000080;">反家康派</span>の二派が形作られていきます。<br /><br />「上杉に根も葉もなき悪口を吹き込んだりしておると･･･」と言うのは、この時点では天地人での創作ですが、後に上杉家には謀反の噂が流れることとなります･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 秀吉がなんで最期にお茶飲みまくり？？</span></strong><br /><br />最期に秀吉が飲んだ三杯のお茶。<br /><a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>が秀吉に仕えた時の非常に有名なエピソード「<span style="color: #ff0000;">三椀の才</span>」のお話ですね。<br /><br />ある日、秀吉が鷹狩りの帰りにお寺に立ち寄り、お茶を飲ませてくれと頼みます。<br />すると一人の少年が出てきて、大きな茶碗にぬるいお茶を入れて差し出しました。<br />それを飲んだ秀吉が「もう一杯くれ」というと、今度は少し熱めのお茶を入れて差し出しました。<br />そこで秀吉がそれを飲み干し、さらに「もう一杯くれ」と言うと、その少年はお茶を入れ直し、小さめの茶碗に熱めのお茶を入れて出してきました。<br /><br />この気配りに感心した秀吉は、その少年を召し抱えます。<br />これが後の「石田三成」です。<br /><br />最期のシーンにこれを持ってくるとは･･･　ちょっと意外でしたね。<br /><br />なお、秀吉の死は1598年の8月。<br />今回の開始時が3月なので、いきなり<span style="color: #ff0000;">5ヶ月</span>経っています。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 急に淀が偉そうにしてたけど、なんで？</span></strong><br /><br />秀吉の死後、淀が五大老に招集をかけ、豊臣家の主君となった「<span style="color: #ff0000;">豊臣秀頼</span>」に忠誠を誓わせる場面が出てきます。<br /><span style="color: #800080;">淀の権力がさらに強まったことを表している場面</span>ですね。<br /><br />ナレーションでさらっと説明されていただけでしたが、秀吉の妻（正室）である北政所（ねね）が大阪城の「西の丸」に移ったというのも重要なポイントです。<br /><br />秀吉の死によって「豊臣秀頼」が豊臣家の跡継ぎとなりますが、まだ六歳。<br />そのため母である淀が豊臣秀頼の面倒を見ていました。<br />淀のライバルと言える存在だった北政所は、おそらく自分から大阪城の本丸を退去して「西の丸」に移ったと思われますが、これにより大阪城における淀の権力はますます強まることになります。<br /><br />一人の女性に大阪城の権力が集中していくことは、後に豊臣家に大きな問題をもたらすことになっていきます･･･<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 石田三成の家臣「島左近」登場！ これって誰？</span></strong><br /><br />石田三成の片腕にして人気の高い戦国武将「<span style="color: #ff0000;">島左近</span>」が登場です！<br />でも、いかにも脇役っぽい配役でしたね･･･<br />まあ、流れを考えると出番は多くなさそうなので、仕方ないかもしれませんが･･･<br /><br />広くその軍略が知られた人物で、そのため多くの大名家から誘いを受けていたのですが、石田三成から「<span style="color: #800080;">自分の俸禄（領地･給料）の半分を出すから家臣になってくれ</span>」と破格の誘いを受けて感激、以後、<span style="color: #ff0000;">三成の片腕</span>として活躍します。<br />人々は「<span style="color: #800080;">三成に過ぎたるもの</span>」と噂したと言われています。<br /><br />ドラマでは、家康に討ち入ろうとしていた石田三成を止めに行った直江兼続の前に現れ、兼続を制止しようとしました。<br />これは島左近が、「家康暗殺」の計画を立てていたと言われているのを表しているのかもしれません。<br /><br />島左近の詳細については以下のページもご覧下さい。<br />人物：島左近（<a title="島左近" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/miyosiSS/index.htm#sakon" target="_blank">信On</a>、<a title="島左近" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#sakon" target="_blank">無双</a>）<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ さらに新登場「前田利長」って誰？</span></strong><br /><br />前田利家の子。 <span style="color: #ff0000;">前田家の跡継ぎ</span>ですね。<br />今回で前田利家が死去するので、今後は前田家の当主としては彼が登場することになります。<br />前田利家の跡を継いで、「五大老」に就任しました。<br /><br />その立場ゆえに、彼はこの後、いろいろ「<span style="color: #800000;">とばっちり</span>」を受けるハメになります･･･<br /><br />前田利家は彼に「３年は上方（京都）を離れるな！」と遺言していましたが、<span style="color: #800080;">徳川家康の口車に乗ってさっさと自分の領地に帰ったりした</span>ため、後世の評価はあまり高くありません。<br /><br />しかし彼のその後の判断があったからこそ、前田家は後に「加賀百万石」の大大名に出世することになります。<br />その意味では、時代を見る目があった人物と言えます。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 前田利家が家康に刀を突きつけてたけど･･･　アレほんと？</span></strong><br /><br />豊臣秀吉の死後、前田利家も病気がちになります。<br />そのため徳川家康は彼の見舞いに行ったのですが、この時に<span style="color: #800080;">前田利家は布団の下に刀を隠し持っていた</span>というエピソードがあります。<br />それを元に描かれたのが、ドラマで家康に刀を突きつけたシーンのようですね。<br />その後、ドラマではナレーションで<span style="color: #800080;">前田利家の病死</span>が語られました･･･<br /><br />ドラマではその後、徳川家康を除く大老が集まって、家康に対して非難文を提出し、そこで話が終わっていましたが、<span style="color: #ff0000;">実際にはこの辺の話はやや前後しています</span>。<br /><br />史実では、徳川家康が他の大名家との婚姻の話を勝手に進めまくっていたため、それを石田三成と前田利家が非難します。<br /><br />その結果、<span style="color: #800080;">三成派が前田利家の屋敷に、家康派が徳川家康の屋敷に集まる騒ぎになります</span>。<br />この騒ぎは前田利家と徳川家康が会談して和解し、事なきを得ますが･･･<br />前田利家の病状はその後に悪化し、家康が見舞いをして、利家が刀を隠し持っていたエピソードはここで起こります。<br />ですからこの話は、<span style="color: #800080;">前述の騒ぎの延長</span>であったようです。<br />前田利家が家康と会談をする際に、すでに息子の前田利長に「<span style="color: #800000;">交渉決裂なら家康を斬る。もしわしが死んだら弔い合戦をしろ</span>」と言っていたとも言います。<br /><br />前田利家は分裂気味の豊臣家の家臣たちを何とかまとめようと、トラブルの仲裁を行っていました。<br />しかし、その前田利家が死んでしまったことで･･･　豊臣家の分裂は決定的となります。<br />豊臣家にとって、死んではいけない人が死んでしまったと言えます。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 各武将の現時点の所属<br /></span></strong><br />　●上杉家<br />　　・<a title="上杉景勝" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#kagekatu" target="_blank">上杉景勝</a>（<span style="color: #000080;">五大老、秀吉が死んだので京都へ）</span><br />　　・<a title="直江兼続" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#naoekane" target="_blank">直江兼続</a>（<span style="color: #000080;">国替えで忙しい。秀吉の死で京都へ</span>）<br />　　　・樋口惣右衛門（<span style="color: #000080;">米沢城の留守役に就任</span>）<br />　　　・志駄義秀（会津で政務中）<br />　　　・一志大夫<br />　　・大国実頼（<span style="color: #000080;">会津の南山城の城主に就任</span>）<br />　　　・小国重頼（隠居）<br />　　<br />　　・上田衆同僚<br />　　　・泉沢久秀（会津で政務中）<br />　　　　・泉沢久信（久秀の子、会津へ）<br />　　　　・泉沢又次郎（泉沢久秀の子、越後に残る）<br />　　　　・泉沢弥三郎（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">泉沢久秀の子、越後に残る）</span><br /></span>　　　・山岸尚家<br />　　　・桜井晴吉<br />　　　・<a title="甘糟景継" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugiSS/index.htm#amakasuKage" target="_blank">甘糟景継</a>（<span style="color: #000080;">会津の白石城の城主に就任</span>）<br /><br />　●豊臣家<br />　　&times;<a title="羽柴秀吉" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#hideyosi" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">豊臣秀吉</span></a>（<span style="color: #ff0000;">病死</span>）<br />　　　　・拾&rarr;豊臣秀頼（<span style="color: #008000;">改名、豊臣家の跡を継ぐ</span>）<br />　　　　・小早川秀俊&rarr;小早川秀秋（<span style="color: #008000;">改名、<span style="color: #800000;">朝鮮から帰国</span></span>）<br />　　　&times;<a title="前田利家" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#tosiie" target="_blank"><span style="text-decoration: line-through;">前田利家</span></a>（<span style="color: #ff0000;">病死</span>）<br />　　　　・前田利長（<span style="color: #000080;">利家に代わり五大老に就任</span>）<br />　　　・<a title="福島正則" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Thukusima" target="_blank">福島正則</a>（<span style="color: #800000;">養子が家康の養女と婚約</span>）<br />　　　・<a title="加藤清正" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#Tkatou" target="_blank">加藤清正</a>（<span style="color: #800000;">朝鮮から帰国、家康の養女を嫁に</span>）<br />　　　・宇喜多秀家（五大老、<span style="color: #800000;">朝鮮から帰国</span>）<br />　　　・毛利輝元（五大老）<br /><br />　　・豊臣五奉行<br />　　　・<a title="石田三成" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#mitunari" target="_blank">石田三成</a>（<span style="color: #000080;">家康と対立し始める</span>）<br />　　　　・島左近（<span style="color: #008000;">初登場</span>）<br />　　　・<a title="浅野長政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#asano" target="_blank">浅野長政</a><br />　　　・増田長盛（まだセリフなし）<br />　　　・長束正家（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">まだセリフなし）</span><br /></span>　　　・<a title="前田玄以" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/odaSS/index.htm#maedageni" target="_blank">前田玄以</a>（<span style="color: #008000;"><span style="color: #000000;">まだセリフなし）</span><br /></span><br />　　　・<a title="北政所（ねね、高台院）" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#nene" target="_blank">北政所</a>（秀吉の妻、<span style="color: #000080;">大阪城の本丸から退去</span>）<br />　　　・淀（豊臣秀頼の母、<span style="color: #000080;">権力が強まる</span>）<br /><br />　　　・お船（直江兼続の妻、京都に居住）<br />　　　・菊姫（上杉景勝の妻、京都に居住）<br /><br />　　　・<a title="真田昌幸" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/takedaSS/index.htm#TSmasayuki" target="_blank">真田昌幸</a><br />　　　　・<a title="真田幸村" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#yukimura" target="_blank">真田幸村</a>（久々に登場）<br />　　　　・<a title="猿飛佐助" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#sasuke" target="_blank">猿飛佐助</a>（架空の人物）<br /><br />　● 徳川家<br />　　・<a title="徳川家康" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ieyasu" target="_blank">徳川家康</a>（五大老、<span style="color: #000080;">他の大名家との婚姻を独断で開始</span>）<br />　　　・<a title="本多正信" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#hondamasa" target="_blank">本多正信</a><br />　　　・<a title="井伊直政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#ii" target="_blank">井伊直政</a><br />　　　・<a title="酒井忠次" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakai" target="_blank">酒井忠次</a><br />　　　・<a title="榊原康政" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tokugawaSS/index.htm#sakakibara" target="_blank">榊原康政</a><br /><br />　● 伊達家<br />　　・<a title="伊達政宗" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index.htm#masamune" target="_blank">伊達政宗</a>（<span style="color: #000080;">娘を家康の子と婚約させる</span>）<br />　　　・<a title="片倉景綱" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/musouSS/index2.htm#ko10rou" target="_blank">片倉景綱</a><br /><br />上杉家が会津に移ったので何人かの上杉家の武将の配属が変わっています。<br />天地人ではセリフで説明されただけでしたが、後にドラマの話にも関わってくると思います。<br />兼続の父は米沢城の留守役（正式な城主は兼続）となるので、再び出番が増えるようですね。<br />次回はいよいよ、関ヶ原に繋がる「暗殺未遂事件」になるようです･･･<br /><br />なお、ナレーションの説明だけで終わった第二回の朝鮮出兵ですが、その模様は少し長くなる上にドラマでは出てこなかったので、別の日に改めて番外（？）として記載したいと思います。<br /><br /><br /><strong><span style="color: #ff00ff;">○ 天地人紀行 第三十五回</span></strong><br /><br />・京都府 京都市<br />・太閤坦<br />・豊国神社<br />・豊国廟<br /><br />・<a title="天地人紀行　第三十五回" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map35.html" target="_blank">地図を表示する</a><br /><br />・<a title="天地人紀行　全名所マップ" href="http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tenti/map100.html" target="_blank">これまでの天地人紀行の名所、全マップ</a></p><br /><script type="text/javascript"><!--
google_ad_client = "pub-9309682125057395";
/* 天下人 記事内 */
google_ad_slot = "9348721030";
google_ad_width = 336;
google_ad_height = 280;
// --></script><script src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js" type="text/javascript"></script><br />]]> 
</content>
<author>
<name>kamuraitao</name> 
</author>
</entry>
</feed>
