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不良キャラとして一世を風靡中の城田優さんが演じる「真田幸村」が登場する回です!
前回が三成特集、今回が幸村特集ですから、この辺で女性視聴者を確保しておこうという NHK の壮大な計画なのでしょうか!?
時代的には今回も「1585年8月」が続き、3回連続で月日が進んでいません
まあそれだけ、上杉家にとって色々あった時期とも言えます。


・真田家と上杉家の同盟、実際のところは?

ドラマでは「徳川家が敵対して来たので、真田家が上杉家に救援を求めた」、というような表現になっていましたが、実際には逆で、真田家と徳川家・北条家の間で外交の「こじれ」が起こり、真田家が徳川家と対立した時のことを考えて上杉家と同盟。
そのため徳川家が「真田家の敵対は明白、外交の条件も守る気がない」として進攻を行った、というのが順序です。

この辺りの課程は第二十一回「三成の涙」の解説で説明していますのでそちらをご覧頂きたいのですが、オープニングの解説にもあったように、武田家滅亡後の真田家は 織田・上杉・徳川・北条 の間で目まぐるしく主君を変えているため、どちらかと言うと真田側の寝返りという方がしっくり来ます。

当時の真田家は大きな勢力に周囲を囲まれた小勢力であり、生き残り、かつ領土を守るためには状況に合わせて主君を変えなければならない環境にあったのですが、徳川と真田の敵対は、その末に起こった対立と言えます。

ドラマでは泉沢久秀が、「しかし、真田はこれまで幾度も仕える相手を変えておる。困った時のみ頼られても・・・」と言っていますが、これは当時の周辺の大名家はみんな思っていた本音だと思います。


・初登場「真田幸村」って誰?

真田幸村。オープニングでも語られたように、戦国武将の中でもトップクラスの人気を誇る人物です!
本当の名は「真田信繁」なのですが、後年に広まった「真田幸村」の名の方が知られていますし、幸村の方が一般的ですね。

史実で真田幸村が活躍したのは、戦国時代の終わりに起こった「大阪 冬の陣・夏の陣」という戦いだけで、そのため活躍した期間は短いのですが、その戦いで天下人たる徳川家康を相手に大きな活躍を見せ、その名がとどろきました。
その後、多くの物語に主役や登場人物として描かれたため、一躍有名になっています。

あまり知られていないのですが、真田幸村は上杉家と真田家が同盟した時に人質として越後に行っており、その際に「須田満親」という人に預けられました。
そしてこの頃に直江兼続にも会っており、兼続から軍学などを学んでいたと言われています。
今回のドラマはその辺りの出来事を元にシナリオが描かれているようです。

天地人では人気爆発中の城田優さんが演じているので、さらに人気が出そうですね!
ROOKIES の流れなのか、やっぱり不良っぽい感じ。
真田幸村については下記のページも参考にしてみて下さい。
人物:真田幸村(戦国無双戦国BASARA


・さらに初登場「真田昌幸」って誰?

なんだかセリフが妙に説明的で、浮いていた感じの真田昌幸・・・
しかし戦国時代きっての名将にして策略家です。

武田信玄に「我が両目の如し」と言われたほどの才能の持ち主で、北条家や徳川家の大軍を相手に少ない兵力で幾度も勝利を重ねる一方、仕える相手を次々と変えて世を渡り、真田家の領土を守り続けた人物です。

豊臣秀吉からは「表裏比興の者」と評されていましたが、これは「表裏がわからない卑怯な者」と言う意味で、謀略家であることをあらわした言葉です。
しかし決して非難していた訳ではなく、むしろ感心しての言葉だと言われています。
真田昌幸の詳細に関しては、下記のページもご覧下さい
人物:真田昌幸(武藤喜兵衛)


・真田が徳川を倒して「完全勝利」した戦いは、実際はどんな感じ?

ドラマで「真田方の完全勝利」と表現された、徳川と真田の「上田城の戦い(上田合戦)」。
この戦いは真田昌幸の知謀が世に知れ渡った戦いとして知られています。

徳川家は真田家が約束を破ったことを理由に、真田家の居城「上田城」に 7000 の兵を派遣しました。
対する真田家には 1000 程度の兵しかいなかったと言われています。
真田方は多勢に無勢な状態です・・・

そして真田軍は城門前に 200 の兵を配置して徳川軍を迎え撃ちますが、あっという間に徳川軍に蹴散らされ、城内へと後退してしまいます。
しかしこれは、真田軍の偽退(嘘の撤退)でした
余裕の徳川軍は兵士たちが勲功を焦ったこともあって、一斉に城内に突入します。
この時、真田昌幸自身が甲冑も着けずに櫓の上にいて、徳川軍を挑発したと言う話もあります。

しかし城内に突入した徳川軍は城内の門の前から進めず、立ち往生してしまいます。
この際、上田城は入口の道が広く、奥に行くほど細くなっていたため、一斉に突入した兵士たちが中でぎゅうぎゅう詰めになってしまい、身動きが取れなくなってしまった、と言う説もあります。

そしてタイミングを見計らって、塀の上に潜んでいた真田兵が一斉に現れ鉄砲を掃射
さらに用意していた丸太や岩石などを次々と落とし、徳川軍は壊乱状態に陥ります。
同時に狭い路地が続く城下に火を放ち、さらに別の城に待機していた真田軍数百の兵が打って出て、混乱中の徳川軍に襲いかかります!

壊乱した徳川軍は慌てて後退しようとしますが、上田城の前には「神川」という川があり、そこが急に増水
真田昌幸はその上流をせき止めていて、このタイミングで水を押し流す「水計」の罠を仕掛けており、これによって多数の徳川軍が水没、溺死してしまいます。

こうしてまともに戦えなくなった徳川軍は撤退を開始するのですが、そこに山間に潜ませていた真田軍 3000 千の農民兵が現れ奇襲攻撃
真田家はいざという時のために農民を訓練していて、それを周辺に「伏兵」として潜ませていたようで、これにより徳川軍はさらに追撃を受けることになってしまいます。

こうして徳川軍はボッコボコ、甚大な被害を受けて敗戦することとなりました。

真田側の史料では、徳川軍の損害は1300人(以上)、一方で真田側の被害は数十人だけだったと言われています。
(徳川側の史料では死者300人となっているようですが、いずれにせよ「徳川の大敗北」だったことは、徳川側の史料にも明記されています)

なお、この「上田城の戦い」の模様については諸説あり、前述した櫓の上での「挑発」や、城内の仕掛け、川をせき止めた「水計」などについては、否定的な意見もあります。
ただ、事実の判断は難しい事と、人によって言ってることが違うので、ここでは全部まとめて表記しています。

敗退した徳川軍は上田城の攻略をあきらめ、別の城を落としに向かいますが、ここでもやはり苦戦して、上杉家からの援軍も到着します。
こうして真田家と徳川家の戦いは、徳川の優勢から一転、徳川方が苦戦していく事になります。


・真田幸村が真田家に戻って、さらに兼続の家に戻ってきてたけど、これ本当・・・?

ドラマでは上田城での真田家と徳川家の戦いが終わった後、すぐ12月になったのですが、実際には上田城での戦いの後もしばらく双方の戦いは続いていました。
また、真田幸村の移動は、実際の歴史とドラマでは大幅に異なります。

まずドラマでは、真田家が攻め込まれた際に幸村は兵と共に真田家に戻っていましたが、実際には戻っていません
(少なくとも私は、上田合戦で真田幸村が戻ってたという話は聞いたことがありません)
たぶんドラマでは、「城田優の甲冑姿」を見せたかったんじゃないかな〜、と思います。
天地人での「サービスカット」だったんじゃないでしょうか。

しかし翌9月、真田家が徳川家と戦っている隙に、北条家が上野の「沼田城」という城に進攻を開始します!
この「上野の沼田城」は真田家の城なのですが、北条家が徳川家と同盟する際にその条件として割譲を求めていた城で、徳川家が真田家に「北条家に譲ってくれ」と言って、真田家がそれを断り、戦乱の火種となった城です。

真田家は徳川家との戦いで手一杯だったので、上杉家に援護を要請。
上杉家はこれに応えて、真田幸村に兵を率いさせ、沼田方面に救援に向かわせています。
つまりこの時は、ドラマであったように、真田幸村が兵を借りて出陣しています。

上田合戦

そして沼田城の真田軍は北条軍を撃退、北条家は上野より後退します。

一方、徳川軍は上田城の近くにある「丸子城」などを攻めていましたが、上田城での大敗で士気が下がっており、相変わらず苦戦。
そのため9月の下旬から10月にかけて、信濃方面に援軍を派遣します。

これを見た真田昌幸は、豊臣秀吉にも支援を要請します。
この1年半ほど前、豊臣秀吉と徳川家康は「小牧・長久手の戦い」という合戦で戦っていて、まだ対立状態が続いていましたから、秀吉は真田家に支援を約束する返答を行っています。

そして、その秀吉の返答があったのが11月だったのですが・・・
この11月に、徳川家の中で事件が起こります
徳川家康が大名になった時からの側近であり、さらに国の重要な家老でもあった「石川数正」という人が、突然 豊臣秀吉側に一族を率いて寝返ってしまったのです!

なぜトップクラスの側近であった石川数正が、急に秀吉に寝返ったのか・・・
諸説あって、正確には不明です。
時期が時期だけに、真田家を支援するための秀吉の調略(寝返り工作)だったのではないかという説もありますが、実際のところは解りません。

いずれにせよ、トップクラスの重臣が寝返ったのですから、徳川家の情報は相手側に一気に漏れてしまいます!
もう進攻どころではなくなった徳川軍は、すぐに全軍撤退!
こうして徳川家と真田家の戦いは、突然終結しました。

石川数正の寝返りは真田昌幸の謀略だったのでは? という話が出ることもありますが、真田昌幸が数日後に上杉景勝に送った手紙には、「いきなり徳川軍が帰っちゃった! なんで!?」という感じの内容が書かれているようなので、昌幸は少なくともこの時点では、石川数正の寝返りを知らなかったようです。

その後、秀吉から状況を伝える手紙が真田家に届き、その返信で真田昌幸は豊臣秀吉に臣従を誓いますが、この時に真田昌幸は真田幸村を豊臣秀吉に人質に出すことを決定しています。
そのため上杉家にいた真田幸村(ちなみに当時の名は「弁丸」)は、上杉家から豊臣家へと移っていくことになります。

よってドラマでは12月に直江兼続の屋敷を訪れていましたが、実際にはこの時すでに豊臣家にいるはずなので、この辺りはフィクションになると言えます。

ただ、幸村が上杉家にいる時、直江兼続から軍学や兵法などを学んでいたと言われていて、少なくとも顔見知りであったことは確かなので、兼続に会いに家にやってきた、と言うことがあってもおかしくはありませんね。


○ 上杉家の現時点の所属

 ●上杉家
  ・上杉景勝
  ・直江兼続
  ・上条政繁
  (斎京三郎右衛門)
  ・直江兼続 with 親族/配下/上田衆
   ・直江家親族
    ・小国実頼
    ・樋口惣右衛門(再婚。むしろ犯罪
   ・直江兼続配下
    ・一志大夫
    ・志駄義秀
   ・上田衆武将
    ・栗林政頼
    ・深沢利重
   ・上田衆同僚
    ・泉沢久秀
    ・山岸尚家
    ・桜井晴吉
    ・甘糟景継

 ●豊臣家
  ・羽柴秀吉
   ・石田三成

 ●徳川家と、その他
  ・徳川家康真田家に派兵して敗退。自身は出陣していない
   ・本多正信
  ・新発田重家越後内でまだ反乱中、名前のみ)

  ・真田昌幸真田家の当主。徳川軍を撃破
   ・真田幸村史実ではあの後、豊臣家に行ったはず

真田家が登場した回。 真田家はこの後も何度か登場することになるはずです。
徳川軍が出てきた割には、徳川家康が1度も出てきませんでしたが、上田合戦には徳川家康自身は出陣していません。
余談だけど、開始直後の初音のピカーは、ちょっとやりすぎ?


○ 天地人紀行 第二十二回

・長野県 上田市
・真田氏本城跡
・真田幸村像
・長谷寺(真田一族(幸隆・昌幸)の墓がある)
・上田城跡(上田城跡公園)

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